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女エルビス!アン・マーグレット/セクシーさと才能で魅了!今なお光り輝く大スターをご紹介!
90年代に購入していた映画雑誌でのスター人気投票を参考に、海外俳優たちを紹介していこうと思います。今回は、セクシーさと才能で多くの人々を魅了し続けている女優、アン・マーグレットです。
アン・マーグレット
(Ann-Margret Olsson)1941年4月28日生まれ
【出生地】 スウェーデン・イェムトランド県ヴォルソビン
【職 業】 俳優、歌手
幼少からダンスの才能を見せ、パフォーマンス・グループに参加します。舞台出演やミュージカル映画で頭角を表し、『女エルビス』といわれるようになります。歌手としても成功しているマダム・アンの半世紀以上のキャリアや、社会貢献の活動をご紹介していきます。
生い立ちからキャリアについて

アン・マーグレットはスウェーデンのイェムトランド県ヴォルソビンで生まれました。5歳の時に母親とともにアメリカに移住し、イリノイ州で育ちました。幼少時からダンスに才能を見せ、1949年に米国籍を得ました。ノースウェスタン大学に入学しましたが、中退してパフォーマンス・グループのサトルトーンズに参加しました。ラスベガスでのステージでジョージ・バーンズに見出され、1961年に舞台デビューしました。同年には映画『ポケット一杯の幸福』で映画初出演し、ゴールデングローブ賞有望若手女優賞を受賞しました。
1963年にはミュージカル映画『バイ・バイ・バーディー』で主演し、その歌と踊りとコケティッシュな魅力で人気を博しました。この映画の主題歌は日本でもヒットしました。1964年にはエルビス・プレスリーと共演した『ラスベガス万才』でセクシーなダンスを披露しました。この頃から「女エルビス」と呼ばれるようになりました。彼女はRCAレコードから13枚のアルバムをリリースし、歌手としても成功しました。
1965年にはドラマ『サンセット77』などで知られる俳優のロジャー・スミスと出会い、1967年に結婚しました。彼は後に彼女のマネージャーとなり、長く支え続けました。1971年にはジャック・ニコルソンと共演した『愛の狩人』でアカデミー助演女優賞とゴールデングローブ賞助演女優賞にノミネートされました。1975年にはロックオペラ『トミー』で主演し、アカデミー主演女優賞とゴールデングローブ賞主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされました。
1972年にはライブショー中に舞台から転落して重傷を負い、顔面手術を受けるという事故がありましたが、その後も精力的に活動を続けました。1980年代以降はテレビドラマやテレビ映画にも多く出演し、エミー賞やゴールデングローブ賞を受賞しました。2010年には『LAW & ORDER:性犯罪特捜班』へのゲスト出演で自身初のエミー賞を受賞しました。彼女は現在も女優として活躍しており、2020年には映画『ザ・コンジュリング3』に出演しました。
主な出演作品の評価
バイ・バイ・バーディー
この作品は、マダム・アンの代表作のひとつです。彼女は、ロックスターのコンラッド・バーディーにキスされることになった少女キムを演じました。彼女の歌と踊りとコケティッシュな魅力で、多くの人々を魅了しました。この映画は、ミュージカル映画の傑作として高く評価されており、アカデミー賞で4部門にノミネートされました。また、日本でも主題歌がヒットしました。
愛の狩人

この作品では、マダム・アンが初めてドラマティックな役柄に挑戦しました。彼女は、ジャック・ニコルソン演じる大学教授の愛人である不幸な女性ボビーを演じました。その激しい感情表現と深い人間味で、批評家や観客から絶賛されました。アカデミー賞で3部門にノミネートされ、マダム・アンは助演女優賞を受賞しました。
トミー

この作品は、ロックバンドのザ・フーが制作したロックオペラの映画化です。マダム・アンは、主人公トミーの母親であるノーラを演じました。彼女は、トミーが聴覚や視覚や言語能力を失ってしまったことに苦しみながらも、彼を愛し続ける母親の姿を見事に演じきりました。アカデミー賞で2部門にノミネートされ、マダム・アンは主演女優賞を受賞しました。
以上が、マダム・アンの主な出演作品の評価です。彼女は、そのセクシーさと才能で多くの名作に出演し、数々の賞を受賞してきました。
【主な受賞歴】
エミー賞
2010年『LAW & ORDER:性犯罪特捜班』(ゲスト出演)
ゴールデングローブ賞
映画:
1961年 有望若手女優賞『ポケット一杯の幸福』
1971年 助演女優賞『愛の狩人』
1975年 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)『トミー』
テレビ:
1983年 女優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)『ファミリー』
1984年 女優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)『欲望という名の電車』
〈その他の賞〉
ウォーク・オブ・フェーム - 映画 ハリウッド大通り6501
北極星勲章第三位コマンダー(KNO)
社会貢献について

マダム・アンは、女優・歌手・ダンサーとしてだけでなく、慈善活動家としても知られています。以下のとおりご紹介します。
- 彼女自身も乗馬を趣味としていることから、馬に関する慈善団体に多くの寄付をしています。例えば、馬の保護や救済を目的とした「ホース・プロテクション・アソシエーション・オブ・アメリカ」や、「ユナイテッド・プロフェッショナル・ホースメンズ・アソシエーション」などです。また、彼女は自身の馬を競走馬として出走させたこともありますが、その収益の一部を馬の福祉に関する団体に寄付しています。
- 彼女自身も1972年に舞台から転落して重傷を負った経験から、脳卒中や脳損傷の患者や家族の支援にも力を入れています。「アメリカ脳卒中協会」や「アメリカ脳損傷協会」などの団体に寄付やボランティアを行っており、また、自身の回復過程を綴った本『My Story』の売上の一部もこれらの団体に寄付しています。
- 彼女自身もスウェーデン生まれであることから、スウェーデンとアメリカの文化交流や友好関係の促進にも貢献しています。彼女は、「スウェーデン・アメリカ財団」や「スウェーデン・アメリカ商工会議所」などの団体に参加し、スウェーデンとアメリカのビジネスや教育などの分野での協力や交流を支援しています。また、彼女は2005年にスウェーデン国王から北極星勲章第三位コマンダーを授与されました。
以上が、マダム・アンの社会貢献についてです。彼女はそのセクシーさと才能で多くの作品に出演し、数々の賞を受賞してきましたが、同時に多くの慈善活動にも積極的に参加し、社会に貢献してきました。
日本でのエピソード

マダム・アンは日本に何度か訪れており、映画や音楽のプロモーションを行ったり、日本の文化や人々と交流したりしています。以下のとおりご紹介します。
- 1965年10月に初来日しました。映画『バイ・バイ・バーディー』の宣伝のために来日し、東京や京都などを訪れました。この映画の主題歌は日本でも大ヒットし、彼女は日本のテレビ番組で歌って観客を魅了しました。また、京都では着物を着て花見を楽しみました。
- 1970年9月に再来日しました。映画『ラヴ・ガン』の宣伝のために来日し、東京や大阪などを訪れました。この映画では、彼女はジョン・ウェインと共演し、西部劇のヒロインを演じました。また、東京では日本のファッションショーに参加し、和服や洋服を着てランウェイを歩きました。
- 1980年11月に3度目の来日しました。音楽アルバム『アン・マーグレット』の宣伝のために来日し、東京や名古屋などを訪れました。このアルバムでは、彼女はディスコやポップスなどの曲を歌っています。また、東京では日本の歌手と共演し、デュエットを披露しました。
マダム・アンはスウェーデン生まれのアメリカの女優・歌手・ダンサーとして、半世紀以上にわたって多くの作品に出演し、数々の賞を受賞してきました。彼女はそのセクシーさと才能で多くの人々を魅了し続けています。
(Wikipedia参照、Microsoft Bing引用)
主な作品紹介
数ある作品の中から、私見で代表作を掲載します。マダム・アンの作品をぜひ楽しんでください。
バイ・バイ・バーディー
ラスベガス万才
シンシナティ・キッド
駅馬車
愛の狩人
トミー
エニイ・ギブン・サンデー
アメージング・ハイウェイ60
TAXI NY Taxi
オールド・ドッグ
ジーサンズはじめての強盗