PR
仏映画界の至宝!カトリーヌ・ドヌーヴ/国際派!今なお光り輝く大スターをご紹介!
90年代に購入していた映画雑誌でのスター人気投票を参考に、海外俳優たちを紹介していこうと思います。今回は、フランスを代表する大女優、カトリーヌ・ドヌーヴです。
カトリーヌ・ドヌーヴ
(Catherine Fabienne Dorleac)1943年10月22日生まれ
【出生地】 フランス パリ17区
【職 業】 俳優
10代のころからキャリアをスタートさせ、フランス映画のみならず、日本映画やハリウッド映画にも出演し活躍し続けました。マダム・カトリーヌのフランスを代表する大女優としての地位確立や、社会貢献の一連の動きをご紹介していきます。
生い立ちからキャリアについて

カトリーヌ・ドヌーヴは、フランス・パリで生まれました。父は俳優のモーリス・ドルレアック、母は女優のルネ・シモノでした。4人姉妹のうち、マダム・カトリーヌと1967年に事故死した姉のフランソワーズ・ドルレアックも俳優になりました。
マダム・カトリーヌは10代のころから映画に出始め、1964年にミュージカル映画『シェルブールの雨傘』で世界的なスターの座をつかみました。この作品は、第17回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞し、アカデミー賞にも5部門でノミネートされました。彼女は、ジュヌヴィエーヴ・エムリという若い恋人と別れることになる娘役を演じ、美しさと歌唱力で観客を魅了しました。
その後は、多様なジャンルの映画に出演し、美貌だけでなく演技力も高く評価されました。1967年には、姉のフランソワーズと共演したミュージカル映画『ロシュフォールの恋人たち』で再び歌いました。同年には、ロマン・ポランスキー監督のサスペンス映画『反撥』で、精神的に不安定な美容師役を演じ、恐怖と狂気を表現しました。1970年には、ルイ・ブニュエル監督の映画『昼顔』で、夫の不在中に売春をする主婦役を演じ、性と暴力のテーマに挑みました。
また彼女は、フランスの名匠たちだけでなく、アメリカやイタリアなどの映画監督とも仕事をしました。1975年には、ロバート・アルドリッチ監督の映画『ハスラー2』で、ポール・ニューマンと共演しました。1983年には、フランコ・ゼフィレッリ監督の映画『ラ・トラヴィアータ』で、オペラ歌手のヴィオレッタ役を演じました。1992年には、レジ・ワルグニエ監督の映画『インドシナ』で、フランス領インドシナで暮らす富豪の未亡人役を演じ、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされました。
マダム・カトリーヌは、現在も第一線で活躍しており、フランス映画界の至宝と呼ばれています。2019年には、是枝裕和監督の映画『真実』で、自伝本を出版した大女優役を演じ、ジュリエット・ビノシュと共演しました。2021年には、エマニュエル・ベルコ監督の映画『愛する人に伝える言葉』で、癌で余命宣告された息子との関係を描きました。彼女は、65年に及ぶキャリアで常に新しい挑戦を続けてきた女優です。
主な出演作品の評価
シェルブールの雨傘

ジャック・ドゥミ監督のミュージカル映画で、カトリーヌ・ドヌーヴは傘屋の娘ジュヌヴィエーヴを演じました。彼女は恋人と別れることになり、妊娠したことを知ります。この映画は全編歌で構成されており、美しい色彩と音楽が印象的です。カトリーヌ・ドヌーヴはこの映画でパルム・ドールやアカデミー賞にノミネートされました。
昼顔

ルイス・ブニュエル監督のサスペンス映画で、カトリーヌ・ドヌーヴは若く美しい主婦セヴェリーヌを演じました。彼女は夫には愛情を感じないばかりか、変態的な性的妄想にとらわれています。ある日、彼女は高級娼婦として働き始めますが、そこで出会った男に恋をしてしまいます。この映画はカトリーヌ・ドヌーヴの美しさと冷たさを見事に表現しています。
インドシナ

レジ・ワルグニエ監督の歴史ドラマで、カトリーヌ・ドヌーヴはフランス領インドシナのプランテーションの女主人エリアーヌを演じました。彼女はベトナム人の孤児カムを養女として育てますが、やがてカムはエリアーヌの恋人である海軍士官と恋に落ちます。この映画はベトナムの独立運動の歴史を背景に、母娘の愛と葛藤を描いています。カトリーヌ・ドヌーヴはこの映画でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされました。
【主な受賞歴】
カンヌ国際映画祭
2008年 第61回記念特別賞『クリスマス・ストーリー』
2005年 パルム・ドール名誉賞
ヴェネツィア国際映画祭
1998年 女優賞『ヴァンドーム広場』
2022年 栄誉金獅子賞
ベルリン国際映画祭
2002年 銀熊賞(芸術貢献賞) 『8人の女たち』
1998年 名誉金熊賞
ヨーロッパ映画賞
2002年 女優賞 『8人の女たち』
2013年 生涯貢献賞
セザール賞
1980年 主演女優賞『終電車』
1992年 主演女優賞『インドシナ』
社会貢献について

マダム・カトリーヌは、女優としてだけでなく、人権や社会正義のためにも積極的に活動してきました。彼女は、以下のような例が挙げられます。
- 1989年、フランスの女性たちが堕胎の権利を訴える『343人のマニフェスト』に署名しました。この署名は、当時フランスで違法だった堕胎を受けたことを公表するもので、女性の自己決定権を主張するものでした。
- 1993年、ボスニア・ヘルツェゴビナで起きた民族浄化に対して、国際連合に介入を求める『ボスニアのためのマニフェスト』に署名しました。この署名は、ボスニアの女性たちが受けたレイプや虐殺を非難し、人道的な支援を要請するものでした。
- 2007年、フランスの大統領選挙において、社会党のセゴレーヌ・ロワイヤル候補を支持しました。彼女は、ロワイヤルがフランスの最初の女性大統領になることを期待し、彼女の政策や人柄を称賛しました。
- 2018年、フランスの『ル・モンド』紙に掲載された「男性には口説く自由がある」という声明に署名しました。この声明は、#MeToo運動に対して、性的な自由や魅力の表現を否定するものではないかと批判するものでした。しかし、この声明は性暴力の被害者に対して不快感や傷つけるものと受け取られることもあり、彼女は後に謝罪しました。
以上がマダム・カトリーヌの社会貢献についての一部です。彼女は、自分の信念や価値観に基づいて、さまざまな問題に関心を持ち、発言や行動を起こしてきました。彼女は、女優としてだけでなく、社会的な役割も果たしてきたと言えるでしょう。
日本でのエピソード

マダム・カトリーヌは、日本との関係が深い女優です。日本とのエピソードについては、以下のとおりです。
- 1975年、日本の映画監督である黒澤明と共同で、『影武者』の企画を立ち上げました。彼女は、日本の歴史や文化に興味を持ち、黒澤明の作品に感銘を受けていました。彼女は、黒澤明に手紙を書いてコンタクトを取り、彼の次回作に出演したいと申し出ました。黒澤明は、彼女の提案に応えて、彼女のためにオリジナルの脚本を書き始めました。しかし、製作資金の問題やスケジュールの調整などの困難により、この企画は実現しませんでした。
- 1986年、日本の映画監督である大林宣彦の作品『ロバと王女』に出演しました。彼女は、日本の童話『赤毛のアン』の作者である村岡花子の友人であるフランス人女性ジュヌヴィエーヴを演じました。彼女は、日本の風景や文化に魅了され、撮影中に日本語を勉強しました。彼女は、大林宣彦との仕事を「とても楽しくて、とても刺激的だった」と語っています。
- 2019年、日本の映画監督である是枝裕和の作品『真実』に出演しました。彼女は、自伝本を出版した大女優ファビエンヌを演じました。彼女は、是枝裕和の作品に感嘆し、彼とのコラボレーションを望んでいました。彼女は、彼の作品について「とても繊細で、とても深い」と評しています。彼女は、日本でのプレミアにも参加し、日本のファンと交流しました。
以上がマダム・カトリーヌと日本とのエピソードの一部です。彼女は、日本の映画や文化に対して敬意と好奇心を持っており、日本とのつながりを大切にしています。彼女は、日本の映画界にとっても貴重な存在です。
(Wikipedia参照、Microsoft Bing引用)
主な作品紹介
数ある作品の中から、私見で代表作を掲載します。マダム・カトリーヌの作品をぜひ楽しんでください。
シェルブールの雨傘
ロシュフォールの恋人たち
昼顔
哀しみのトリスターナ
終電車
インドシナ
8人の女たち