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多彩!マット・ディロン/10代からキャリアを重ねた演技派スターをご紹介!
90年代に購入していた映画雑誌でのスター人気投票を参考に、海外俳優たちを紹介していこうと思います。今回は、多彩な役をこなす演技派スター、マット・ディロンです。
マット・ディロン
(Matthew Raymond Dillon)1964年2月18日生まれ
【出生地】 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューロシェル
【職 業】 俳優
ミスター・マットは、スカウトされて10代からキャリアを重ねた演技派俳優です。ハリウッド・スターとしての地位確立や、社会貢献の活動をご紹介していきます。
生い立ちからキャリアについて

マット・ディロンはアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューロシェルで生まれました。カトリック系の家庭の6人兄弟の2番目で、弟のケヴィンも俳優になりました。14歳の時にスカウトされて芸能界入りし、テレビシリーズ『ガンスモーク』の主人公の名、“マット・ディロン”を芸名にしました。
1979年に『レベルポイント』で映画デビューし、1980年に『リトル・ダーリング』でアイドル・スターになりました。1983年にはフランシス・フォード・コッポラの青春映画『アウトサイダー』と『ランブルフィッシュ』に続けて出演し、一躍人気アイドルとなりました。その後しばらく低迷しますが、1989年にはガス・ヴァン・サントの『ドラッグストア・カウボーイ』でジャンキーを演じ、インディペンデント・スピリット賞の男優賞を受賞しました。
その後はコメディ映画に出演したり、2002年には『シティ・オブ・ゴースト』で監督としてもデビューしました。2004年の『クラッシュ』では全米映画俳優組合賞キャスト賞を受賞し、アカデミー助演男優賞にノミネートされました。しかし2010年、この作品の利益分配をめぐり、プロデューサーに対して訴訟を起こしました。
最近では、『ジーサンズ はじめての強盗』や『ハウス・ジャック・ビルト』『アステロイド・シティ』などの作品に出演しています。
以上がミスター・マットの生い立ちからキャリアまでの概要です。彼は若手時代から多彩な役柄をこなし、今でも活躍している俳優です。
主な出演作品の評価
ドラッグストア・カウボーイ

この作品は、1980年代のアメリカでドラッグに溺れる若者たちの生き様を描いたガス・ヴァン・サント監督の代表作です。ミスター・マットは、ジャンキーのリーダーであるボブを熱演し、インディペンデント・スピリット賞の主演男優賞を受賞しました。彼は、ドラッグの快楽と苦悩、そして人生への希望と絶望を見事に表現し、批評家からも高い評価を得ました。この作品は、彼のキャリアを決定づけた作品と言えるでしょう。
クラッシュ

この作品は、人種差別や偏見によって複雑に絡み合う人々の運命を描いたポール・ハギス監督の社会派ドラマです。ミスター・マットは、人種差別的な発言や行動をする白人警官のジョン・ライアンを演じました。彼は、表面的な悪役ではなく、父親の病気や自分の罪悪感など、複雑な背景を持つ人間として描きました。この演技により、全米映画俳優組合賞のキャスト賞を受賞し、アカデミー助演男優賞にノミネートされました。
ハウス・ジャック・ビルト

この作品は、残虐な殺人鬼ジャックの一生を描いたラース・フォン・トリアー監督の衝撃作です。ミスター・マットは、ジャック役に抜擢されました。彼は、冷酷で狡猾で自己中心的なジャックを見事に演じ、観客を恐怖と嫌悪と興味と共感という複雑な感情に陥れました。この作品は、カンヌ国際映画祭で上映された際に多くの観客が退席するほどの物議を醸しましたが、ミスター・マットの演技は高く評価されました。
以上がミスター・マットの主な出演作品の評価です。彼は不良少年から演技派俳優へと成長し、多彩な役柄をこなしています。
【主な受賞歴】
放送映画批評家協会賞
2005年 アンサンブル演技賞『クラッシュ』
MTVムービー・アワード
1999年 悪役賞『メリーに首ったけ』
全米映画俳優組合賞
2005年 キャスト賞『クラッシュ』
〈その他の賞〉
インディペンデント・スピリット賞
1989年 主演男優賞『ドラッグストア・カウボーイ』
ロカルノ国際映画祭
2022年 名誉金豹賞
社会貢献について

ミスター・マットの社会貢献について、以下のとおりご紹介します。
- 2004年にミャンマーの難民キャンプを訪問し、難民の苦境について世界に訴えました。彼は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使として、難民の保護と支援を呼びかけました。
- 2005年にハリケーン・カトリーナの被災者を支援するために、自身が監督した映画『シティ・オブ・ゴースト』の上映会を開催しました。上映会の収益をアメリカ赤十字社に寄付しました。
- 2010年にハイチで発生した大地震の被災者を支援するために、自ら現地に赴きました。彼は、UNHCRの親善大使として、被災者の状況やニーズを調査し、報告しました。また彼は、ハイチで活動する慈善団体‘アーティスト・フォー・ピース・アンド・ジャスティス’(APJ)の創設メンバーでもあります。
以上がミスター・マットの社会貢献に関する一部をご紹介しました。彼は、俳優としてだけでなく、人道主義者としても尊敬されています。
日本でのエピソード

ミスター・マットの日本とのエピソードについて、以下のとおりご紹介します。
- 1985年に、『ターゲット』の宣伝で初来日しました。彼は、東京や京都を観光し、日本の文化や食べ物に興味を示しました。日本の映画や音楽にも詳しく、特に黒澤明監督や大島渚監督の作品を好んでいました。
- 1996年に再来日し、『ビューティフル・ガールズ』のプレミア上映会に出席しました。彼は、日本のファンにサインや握手をして親しみを見せました。また、彼は、日本の女優である吉永小百合さんと共演したいという希望を語りました。
- 2005年に、『クラッシュ』のプロモーションのため三度目の来日をしました。この作品でアカデミー助演男優賞にノミネートされたことについて、「自分の演技が認められて嬉しい」とコメントしました。また、彼は、日本の映画監督である北野武と会って交流しました。
以上がミスター・マットの日本とのエピソードです。彼は、日本に対して好意的な態度を示しており、日本のファンからも愛されています。
(Wikipedia参照、Microsoft Bing引用)
主な作品紹介
数ある作品の中から、私見で代表作を掲載します。ミスター・マットの作品をぜひ楽しんでください。
アウトサイダー
ランブルフィッシュ
ドラッグストア・カウボーイ
誘う女
メリーに首ったけ
クラッシュ
ジーサンズ はじめての強盗
ハウス・ジャック・ビルト