PR
尊敬!ナスターシャ・キンスキー/世界的に活躍!今なお光り輝く大スターをご紹介!
90年代に購入していた映画雑誌でのスター人気投票を参考に、海外俳優たちを紹介していこうと思います。今回は、国際的に活躍し、影響力のある女優ナスターシャ・キンスキーです。
ナスターシャ・キンスキー
(Nastassja Kinski)1961年1月24日生まれ
【出生地】 西ベルリン
【職 業】 俳優
10代で映画デビューし、モデルとしても活躍しながらキャリアを重ねました。国際的に活躍しながら、慈善事業にも熱心で尊敬されています。マダム・ナスターシャの国際派女優としての地位確立や、社会貢献の活動をご紹介していきます。
生い立ちからキャリアについて

ナスターシャ・キンスキーは西ベルリンで生まれました。俳優のクラウス・キンスキーとブリギッテ・ルート・トッキの娘です。13歳のときにヴィム・ヴェンダース監督の映画『まわり道』でデビューし、その後モデルとしても活動しました。
1976年にロマン・ポランスキー監督と出会い、彼の勧めでニューヨークに渡り、リー・ストラスバーグの演技学校で学びました。1978年にはマルチェロ・マストロヤンニと共演した『今のままでいて』で注目を集め、1979年にはポランスキー監督の『テス』でゴールデングローブ賞新人女優賞を受賞しました。1980年代にはエロティック・ホラーの『キャット・ピープル』やフランシス・フォード・コッポラ監督のミュージカル『ワン・フロム・ザ・ハート』などに主演し、1984年にはヴェンダース監督の『パリ、テキサス』でカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞した作品のヒロインを演じました。
その後も国際的に活躍し、1993年にはヴェンダース監督の『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』や1994年には『ターミナル・ベロシティ』などに出演しました。2015年にはトランシルバニア国際映画祭で世界的功労賞を受賞しました。
プライベートでは、1984年に映画制作者のイブラヒム・ムッサと結婚し、2人の子供をもうけましたが、1992年に離婚しました。その後、ミュージシャンのクインシー・ジョーンズと交際し、1人の子供をもうけましたが、1995年に別れました。彼女の娘のソーニャ・キンスキーとケーニャ・キンスキー・ジョーンズはモデル・女優として活動しています。
主な出演作品の評価
テス

ロマン・ポランスキー監督作品。
イギリスの片田舎に暮らす貧農の娘・テス。ある日彼女は親戚のもとに奉公に出されますが、その家の息子・アレックに無理矢理犯されてしまいます。その後家に戻りアレックの子供を産むものの数週間で死亡します。再び働きに出た農場で牧師の息子・エンジェルと恋に落ちます。この映画は、トマス・ハーディの小説『テス・オブ・ダーバーヴィルズ』を原作としています。マダム・ナスターシャは絶頂の美しさであり、ロマン・ポランスキーのS性が浮かび上がる数々の演出を受けて立つティーンエイジャーとは思えない堂々とした演技にも喝采されました。ゴールデングローブ賞新人女優賞を受賞しました。
パリ、テキサス

ヴィム・ヴェンダース監督、ナスターシャ・キンスキー、ハリー・ディーン・スタントン出演。
テキサスの砂漠で放浪していた男・トラヴィス。彼は弟のウォルトに保護され、ロサンゼルスに連れて行かれます。そこで彼は、4年前に失踪した妻・ジェーンと息子・ハンターの消息を知ります。トラヴィスはハンターと再会し、父子の絆を深めます。そして、ジェーンがヒューストンで電話交換手として働いていることを突き止めます。トラヴィスはハンターとともにジェーンに会いに行きますが、彼女との再会は思わぬ展開を迎えます。
この映画は、サム・シェパードの脚本によるロードムービーです。マダム・ナスターシャは、トラヴィスの妻・ジェーンとして、切なくも美しい演技を見せます。カンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞しました。
危険な年頃

ジャック・ドワイヨン監督、ナスターシャ・キンスキー、ジェラール・ドパルデュー出演。
フランスの田舎で暮らす女子高生・ドミニク。彼女は森で教師と不倫しているところを彼女に思いを寄せる同級生に見られて身体の関係を迫られる地獄の様な設定で、しかも当時16歳(?)のマダム・ナスターシャが演じています。この映画は、ロジェ・ヴァイヤンの小説『危険な年頃』を原作としています。マダム・ナスターシャは、無垢な美少女から淫らな女へと変貌する姿を見事に演じています。
社会貢献について

マダム・ナスターシャは、動物愛護や環境保護などの活動に関心を持ち、様々なチャリティーに参加しています。例えば、以下のような活動があります。
- 2001年には、アメリカの動物愛護団体“PETA”のキャンペーンに参加し、毛皮の着用に反対するメッセージを発信しました。彼女は自身のヌード写真を提供し、ポスターやビデオで「毛皮を着るなら、裸になれ」と訴えました。
- 2005年には、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使に任命され、世界中の難民の状況に注目を集めるために活動しました。彼女はスーダンのダルフール地方やコンゴ民主共和国などの紛争地域を訪問し、現地の人々と交流しました。
- 2009年には、環境保護団体“グリーンピース”のキャンペーンに参加し、気候変動に対する行動を求めるメッセージを発信しました。彼女は自身のサイン入りのTシャツをオークションに出品し、その収益をグリーンピースに寄付しました。
彼女は、自分の持つ影響力を使って、世界の問題に声を上げる女優として、多くの人々に尊敬されています。
日本でのエピソード

マダム・ナスターシャは、日本の映画や文化に興味を持ち、何度も来日しています。例えば、以下のようなエピソードがあります。
- 1980年には、『テス』のプロモーションで初来日し、東京や京都を訪れました。彼女は日本の風景や食べ物に感動し、着物や扇子などの日本の伝統的なものにも興味を示しました。
- 1982年には、『危険な年頃』のプロモーションで再来日し、日本のテレビ番組にも出演しました。彼女は日本の若者と交流し、日本の音楽やファッションにも触れました。
- 1983年には、日本のテレビCMに出演しました。彼女は日本の化粧品メーカーのカネボウのイメージキャラクターとして、美しさと健康をアピールしました。
- 1984年には、『パリ、テキサス』のプロモーションで三度目の来日し、日本の映画祭にも参加しました。彼女は日本の映画監督や俳優とも親交を深め、日本の映画にも敬意を表しました。
マダム・ナスターシャは、日本の映画や文化に対する愛着や理解を持っており、日本のファンにも親しまれています。
(Wikipedia参照、Microsoft Bing引用)
主な作品紹介
数ある作品の中から、私見で代表作を掲載します。マダム・ナスターシャの作品をぜひ楽しんでください。
今のままでいて
テス
ワン・フロム・ザ・ハート
パリ、テキサス
ターミナル・ベロシティ