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【美の象徴!】エリザベス・テイラー

2023年9月4日

Photo by Rolls Press/Popperfoto via Getty Images/Getty Images

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美の象徴!エリザベス・テーラー/映画史に残る伝説的な女優!真の大スターをご紹介!

 90年代に購入していた映画雑誌でのスター人気投票を参考に、海外俳優たちを紹介していこうと思います。今回は、ハリウッド黄金時代を代表する大女優、エリザベス・テイラーです。

エリザベス・テイラー

(Dame Elizabeth Rosemond Taylor)

1932年2月27日生まれ/2011年3月23日(79歳没)

【出生地】 イギリス ロンドン

【職 業】 俳優

 映画史に残る伝説的な女優であり、人道主義者であり、美の象徴であるマダム・エリザベス。彼女の生い立ちやキャリア、社会運動などをご紹介していきます。

キャリアスタートまで 

 エリザベス・テイラーは、イギリスのロンドンでアメリカ人の両親のもとに生まれました。父親は画商で、母親は元女優でした。第二次世界大戦が勃発する直前に、両親は戦火を避けてイギリスからアメリカへと戻ることを決めました。母親と一足先にニューヨークへ到着し、父親は、ロンドンで仕事の後始末をしてからアメリカへ帰国しました。一家はカリフォルニア州ロサンゼルスに落ち着き、父親はイギリスから持ち込んだ多くの絵画を展示するアート・ギャラリーを建てました。そしてすぐにこのギャラリーは現代ヨーロッパ絵画を好む多くの著名なハリウッド関係者たちの間で評判になります。エリザベスが7歳のときでした。その後、10歳で映画デビューすることになります。

出演作品について

Photo by Silver Screen Collection/Getty Images

 メトロ・ゴールドウィン・メイヤー (MGM) と契約して、『緑園の天使』(1944年)や『若草物語』(1949年)などの作品で人気の子役となりました。エリザベスは確実にヒットを飛ばす子役女優として高く評価され、撮影でNGを出さずに一度のテイクで決めてしまうところから“ワンショット・リズ”と呼ばれるようになっていました。

 成人後は、『陽のあたる場所』(1951年)や『ジャイアンツ』(1956年)などで美貌と演技力を発揮し、ハリウッド黄金時代を代表する大女優になりました。『熱いトタン屋根の猫』(1958年)や『去年の夏 突然に』(1959年)などでアカデミー賞にノミネートされ、『バターフィールド8』(1960年)と『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966年)で主演女優賞を受賞しました。『クレオパトラ』(1963年)では主役を演じ、共演したリチャード・バートンとの恋愛劇が話題になりました。バートンとは2度結婚して離婚し、合計8回の結婚を経験しました。

【主な受賞歴】

アカデミー賞 

 1960年 主演女優賞『バターフィールド8』

 1966年 主演女優賞『バージニア・ウルフなんかこわくない』

 1992年 ジーン・ハーショルト友愛賞

ニューヨーク映画批評家協会賞 

 1966年 主演女優賞『パージニア・ウルフなんかこわくない』

AFI賞

 1993年 生涯功労賞

英国アカデミー賞 

 1966年 英国女優賞『バージニア・ウルフなんかこわくない』

 1998年 フェローシップ賞

ゴールデングローブ賞 

 1959年 主演女優賞(ドラマ部門)『去年の夏 突然に』

 1956年 特別業績賞 (これまで出演作品における優れた演技に対して)

1984年 セシル・B・デミル賞

全米映画俳優組合賞

 1997年 生涯功労賞

評価について

 マダム・エリザベスは“最高の映画スター”と呼ばれています。MGMの映画に出演して大衆から注目された彼女は、すぐに12歳で子役スターとなり、その後も成功した映画に出演し続けます。その作品の多くは現在でも『傑作』だと考えられています。映画界で名声を得てハリウッドの象徴となったマダム・エリザベスは、ハリウッドの名声を高めることに貢献し『スターに昇り詰めた典型例』といわれるようになりました。

 女性社会学者のカミール・パーリアはマダム・エリザベスを『映画史上最高の女優」と評しています。さらに彼女は、マダム・エリザベスが自身の出演作に次のような効果をもたらしたとしています。

 「エリザベス・テイラーの表情とカメラの間には、刺激的で官能的な、帯電して震えているかのような空気がありました。それは超感覚的で異教じみた出来事でした。」

 映画を離れたマダム・エリザベスの素顔は「らしくないスター」だったと彼女の伝記作家ウィリアム・マンが指摘しています。著述家グロリア・スタイネムも「うぬぼれを持たない映画の女王。自分の言動を律する達人で、共演するほかの女優と揉め事を起こすことはありません」としています。『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』の監督マイク・ニコルズは、今まで一緒に仕事をした俳優のなかでマダム・エリザベスが「もっとも庶民的な心を持っていた」と語ったことがあります。映画監督ジョージ・キューカーは、マダム・エリザベスが「まれにみる美徳である飾らない優しい心」の持ち主だったと語っています。

 マダム・エリザベスと二度結婚し、11本の作品で共演した俳優リチャード・バートンは、彼女の女優としての才能に大きな敬意を払っています。リチャードは「彼女は今まででもっとも過小評価されている映画女優の一人だと思うけれど、私は彼女が史上稀に見るすばらしい人だということを知っている。誰も彼女の足元にも及ばないよ」と語っています。

社会運動について

Photo by Toni Anne Barson/Wirelmage

 マダム・エリザベスは、映画界だけでなく社会貢献でも活躍しました。1980年代半ばからエイズ撲滅運動に尽力し、エイズ研究財団やエリザベス・テイラー・エイズ基金を設立しました。1992年にはジーン・ハーショルト友愛賞を受賞し、1993年にはAFI生涯功労賞を受賞しました。また、1999年には英国女王から大英帝国勲章 (DBE) を授与されました。

 日本との接点

 日本との関わりも深かったマダム・エリザベスですが、特に有名なエピソードとしては、1974年に来日した際に皇居で昭和天皇と会見したことが挙げられます。このときマダム・エリザベスは、日本人女性が着用することが多い白無垢ではなく、赤い色打掛を着て現れたため、日本中が驚きました。マダム・エリザベスはこの色打掛を“日本の伝統的な花嫁衣装”と思って選んだそうですが、実際には赤い色打掛は花嫁が夫の実家へ挨拶する際に着るものであり、皇居で着るべき服装ではありませんでした。しかしマダム・エリザベスはその美しさと気品で周囲を魅了し、昭和天皇も笑顔で応対したそうです。

最後に…

 マダム・エリザベスは、2011年3月23日にロサンゼルスの病院でうっ血性心不全のために79歳で亡くなりました。その死は世界中に悲しみをもたらし、多くの人々が彼女の功績を讃えました。マダム・エリザベスは、映画史に残る伝説的な女優であり、人道主義者であり、美の象徴でした。

(Wikipedia参照、Microsoft Bing引用)

主な作品紹介

 数ある作品の中から、私見で代表作を掲載します。マダム・エリザベスの作品をぜひ楽しんでください。

緑園の天使


若草物語


陽のあたる場所


ジャイアンツ

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熱いトタン屋根の猫


バターフィールド8


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バージニア・ウルフなんかこわくない


ネット配信

 マダム・エリザベスの作品は、現在ネット配信されています。キャンペーン中のサイトもあるようです。要チェック!

  • Amazon プライムビデオ
  • Apple TV
  • Disney+
  • TELASA

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はもんどれお

こんにちは。はもんどれおです。 これから、大好きな海外ドラマや洋画を紹介していこうと思います。 よろしくお願いします(^ ^) 私の初めての海外ドラマは、当時の教育テレビで放送されていた『大草原の小さな家』です。それから『フルハウス』や『サブリナ』など欠かさず見ていました。 私は、ドラマは吹替で映画は字幕で観る派です。機会があれば、オススメな懐かしい声優さんを紹介していけたらいいな〜と思っています。

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