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CC!クラウディア・カルディナーレ/美しく神秘的!今なお光り輝く大スターをご紹介!
90年代に購入していた映画雑誌でのスター人気投票を参考に、海外俳優たちを紹介していこうと思います。今回は、母国イタリアだけでなく国際的に活躍したスター、クラウディア・カルディナーレです。
クラウディア・カルディナーレ
(Claude Joséphine Rose Cardinale)1938年4月15日生まれ
【出生地】 フランス保護領チュニジア チュニス
【職 業】 俳優
1960年代、『CC』の愛称で人気を誇ったマダム・クラウディア。名監督の作品に出演し、ファンを魅了し続けた彼女の映画人としての地位確立や、社会運動家としての活躍をご紹介していきます。
キャリアスタートまで
クラウディア・カルディナーレは、イタリア人の両親のもとに生まれました。母語はフランス語で、イタリア語は18歳になるまで話すことがなかったそうです。1957年、チュニジアで開かれた美人コンテストで優勝したことがきっかけで映画界入りしました。
出演作品について

マダム・クラウディアは、イタリアを代表する名監督たちと数多くの作品を共にしました。フェデリコ・フェリーニ監督の『8 ½』(1963年)では、主人公の理想の女性クラウディアを演じて美しさと神秘性を魅せました。ルキノ・ヴィスコンティ監督の『山猫』(1963年)では、シチリア貴族の娘アンジェリカを演じて情熱と野心を表現しました。また、『熊座の淡き星影』(1965年)では、兄との禁断の愛に苦悩するサンドラを演じて深い感情を描き出しました。
そして、イタリア映画だけでなくハリウッド映画や国際的な作品にも出演しました。ブレイク・エドワーズ監督の『ピンクの豹』(1963年)では、ダーラ王女役でコメディセンスを発揮しました。セルジオ・レオーネ監督の『ウエスタン』(1968年)では、ジル・マクベイン役で西部劇のヒロインとして活躍しました。ヴェルナー・ヘルツォーク監督の『フィツカラルド』(1982年)では、モリー役で冒険家の恋人として出演しました。
社会運動について
マダム・クラウディアは、社会貢献や人道主義活動にも熱心に取り組んでいます。2000年にはユネスコ親善大使に任命され、教育や文化を通して女性や子供の権利保護に努めています。2002年にはイタリア共和国功労勲章(グランデ・ウッフィチャーレ)を受章しました。
日本との接点
日本との関わりも深いマダム・クラウディアですが、特に有名なエピソードとしては、1964年に来日した際にフジテレビの番組『スター千一夜』に出演したことが挙げられます。このときカルディナーレは、司会者の芥川也寸志と共に日本各地を旅行し、日本文化や風景を楽しみました。また、2013年には『大阪ヨーロッパ映画祭』の名誉委員長を務めるなど、日本映画界とも交流があります。
(Wikipedia参照、Microsoft Bing引用)
主な作品紹介
数ある作品の中から、私見で代表作を掲載します。マダム・クラウディアの作品をぜひ楽しんでください。
若者のすべて
8 1/2
山猫
ブーベの恋人
ウエスタン
フィツカラルド