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【演技派!】ウィリアム・ホールデン

2023年10月9日

©Warner Music Japan Inc.

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演技派!ウィリアム・ホールデン/ハリウッド黄金時代を代表する大スターをご紹介!

 90年代に購入していた映画雑誌でのスター人気投票を参考に、海外俳優たちを紹介していこうと思います。今回は、ハリウッドの黄金時代を代表する俳優の一人、ウィリアム・ホールデンです。

ウィリアム・ホールデン

(William Franklin Beedle Jr.)

1918年4月17日生まれ/1981年11月12日(63歳没)

【出生地】 アメリカ合衆国 イリノイ州オファロン

【職 業】 俳優

 サー・ウィリアムは、演劇に興味を持ちスカウトされて映画デビューしました。第二次世界大戦後しばらくして、演技派スターの座を確立します。ハリウッド黄金時代を代表する俳優としての地位確立や、社会貢献の活動をご紹介していきます。

生い立ちからキャリアについて 

Photo:AFLO

 ウィリアム・ホールデンは、アメリカのイリノイ州に生まれました。父は化学者で母は教師でした。学生時代は細菌学者を目指していましたが、演劇に興味を持ち始め、パサディナ・プレイハウスで演技を学びました。1938年にパラマウントにスカウトされて映画デビューしました。芸名のホールデンは、たまたま電話がかかってきた相手の名前をもらったものだそうです。

 サー・ウィリアムは、1939年の『ゴールデン・ボーイ』で注目されましたが、第二次世界大戦中は陸軍航空隊に所属しました。戦後はしばらく低迷しましたが、1950年の『サンセット大通り』でアカデミー主演男優賞にノミネートされ、演技派スターとしての地位を確立しました。1953年には『第十七捕虜収容所』でアカデミー主演男優賞を受賞しました。その他にも、『麗しのサブリナ』『慕情』『戦場にかける橋』『ワイルドバンチ』『タワーリング・インフェルノ』『ネットワーク』など、多くの名作やヒット作に出演しました。日本の俳優とも共演したことがあります。

 サー・ウィリアムは、実業家としても有名で、野生動物の保護に熱心でした。アフリカのケニアに広大な土地を購入し、保護区にしました。また、税金対策のために家族とともにスイスに移住したこともありました。私生活では、女優のブレンダ・マーシャルと結婚しましたが、1970年に離婚しました。晩年はアルコール依存症に悩まされました。1981年に自宅で事故死しました。遺体は火葬され、遺灰は太平洋に撒かれました。

 サー・ウィリアムは、ハリウッドの黄金時代を代表する俳優の一人であり、今でも多くの人に愛されています。彼の出演作品を、ぜひご覧ください。

主な出演作品の評価

 サー・ウィリアムは、多くの名作やヒット作に出演されています。数多くの出演作品の中から以下のとおりご紹介します。

サンセット大通り

Paramount Pictures/Photofest/ゲッティ イメージズ

 この映画は、ハリウッドの黄金時代を代表する傑作として高く評価されています。サー・ウィリアムは、落ち目の映画スターに取り入る脚本家ジョー・ギリスを演じています。彼の演技は、繊細で皮肉な感覚を持ちながらも、悲劇的な運命に翻弄される人間の葛藤を見事に表現しています。この作品で、彼はアカデミー主演男優賞にノミネートされました。

第十七捕虜収容所

『第十七捕虜収容所』COPYRIGHT ©2013 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.

 この映画は、第二次世界大戦中のドイツの捕虜収容所を舞台にしたコメディドラマです。サー・ウィリアムは、捕虜たちのリーダーであるジェイルバード・シーフトンを演じています。彼の演技は、自分勝手で冷淡な態度をとりながらも、仲間のために危険を冒す勇気と知恵を持つキャラクターを魅力的に演じています。この作品で、彼はアカデミー主演男優賞を受賞しました。

ワイルドバンチ

Album/アフロ

 この映画は、西部劇の名匠サム・ペキンパー監督の代表作です。サー・ウィリアムは、時代に取り残された無法者の一味のリーダーであるパイク・ビショップを演じています。彼の演技は、荒々しくも哀愁を帯びた男の生き様を力強く演じています。この作品は、その衝撃的な暴力描写や美しい映像美で、西部劇の新境地を開いたと評価されています。

 以上が、サー・ウィリアムの主な出演作品の評価についてのご紹介でした。彼の演技は、どの作品も素晴らしいと思います。ぜひご覧ください。

【主な受賞歴】

アカデミー賞 

 1953年 主演男優賞『第十七捕虜収容所』

ヴェネツィア国際映画祭

 1951年 審査員特別賞『重役室』

エミー賞

 1974年 男優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)『The Blue Knight』

社会貢献について

Silver Screen Collection /Getty Images

 サー・ウィリアムは、俳優としてだけでなく、実業家や野生動物保護活動家としても多くの功績を残しました。以下のとおり、いくつかご紹介します。

  • 1970年代にアフリカのケニアに広大な土地を購入し、そこを保護区にしました。彼は、サファリ・クラブの共同経営者として、野生動物の保護や研究に力を入れました。彼は、ケニアの野生動物保護協会の名誉会長にも就任しました。自らの資金で野生動物のための施設や教育プログラムを支援しました。アフリカの自然や動物に対する愛情と尊敬を持っていました。
  • 1959年に税金対策のために家族とともにスイスに移住しました。彼は、スイスのローザンヌにあるホテル・ボーモンを購入し、経営に携わりました。ホテルの改装やサービスの向上に努めました。彼は、ホテルの従業員や客に対しても親切で、人気がありました。彼は、スイスの文化や風景にも魅了されていました。

 彼は、俳優としても多くの社会的影響を与えました。ハリウッドの黄金時代を代表するスターとして、世界中の人々に感動や夢を与えました。多様な役柄に挑戦し、その演技力や魅力を発揮し、映画界の名誉や賞を多数受けました。また、後進の俳優たちにも多大な影響を与えました。

 サー・ウィリアムは、俳優としてだけでなく、人間としても素晴らしい人物でした。彼の功績は、今でも多くの人に称えられています。

日本でのエピソード

 サー・ウィリアムは、何度か日本を訪れており、日本の俳優や監督とも交流がありました。以下に、彼の日本との関わりをいくつかご紹介します。

  • 1954年には、『トコリの橋』で淡路恵子さんと共演しました。淡路さんは、サー・ウィリアムの妻役を演じました。淡路さんは、彼の演技力や人柄に感銘を受けたと語っています。サー・ウィリアムも、淡路さんの美しさや才能を称賛していました。
  • 1957年には、『戦場にかける橋』で早川雪洲さんと共演しました。早川さんは、サー・ウィリアムの敵役である日本軍の大佐を演じました。早川さんは、対照的な演技スタイルで、彼の演技に挑戦しました。サー・ウィリアムも、早川さんの存在感や迫力に感心していました。
  • 1960年には、『第七の暁』で丹波哲郎さんと共演しました。丹波さんは、サー・ウィリアムの部下である日本人通訳を演じました。丹波さんは、気さくさやユーモアに親しみを感じたと語っています。サー・ウィリアムも、丹波さんの演技や人間性を高く評価していました。
  • 1961年には、黒澤明監督と会見しました。監督は、『用心棒』のリメイク版に出演してほしいとオファーしました。サー・ウィリアムは、黒澤監督の作品に感嘆し、彼の才能に敬意を表しました。しかし、スケジュールの都合で出演できなかったそうです。

 以上が、サー・ウィリアムの日本とのエピソードについてのご紹介でした。彼は、日本の映画や文化にも興味を持っていました。日本との交流は、日米の映画界の友好に貢献したと思います。

(Wikipedia参照、Microsoft Bing引用)

主な作品紹介

 数ある作品の中から、私見で代表作を掲載します。サー・ウィリアムの作品をぜひ楽しんでください。

サンセット大通り


第十七捕虜収容所


麗しのサブリナ


慕情


戦場にかける橋


ワイルドバンチ


タワーリング・インフェルノ


ネットワーク


ネット配信

 サー・ウィリアムの作品は、現在ネット配信されています。キャンペーン中のサイトもあるようです。要チェック!

  • U-NEXT
  • Google Playムーヴィー&TV
  • Amazon プライムビデオ
  • Apple TV

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はもんどれお

こんにちは。はもんどれおです。 これから、大好きな海外ドラマや洋画を紹介していこうと思います。 よろしくお願いします(^ ^) 私の初めての海外ドラマは、当時の教育テレビで放送されていた『大草原の小さな家』です。それから『フルハウス』や『サブリナ』など欠かさず見ていました。 私は、ドラマは吹替で映画は字幕で観る派です。機会があれば、オススメな懐かしい声優さんを紹介していけたらいいな〜と思っています。

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