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デイム!ジュリー・アンドリュース/ミュージカル界のトップスターをご紹介!
90年代に購入していた映画雑誌でのスター人気投票を参考に、海外俳優たちを紹介していこうと思います。今回は、世界中の人々に愛されているミュージカル女優、デイム・ジュリー・アンドリュースです。
デイム・ジュリー・アンドルーズ
(Dame Julie Elizabeth Andrews)1935年10月1日生まれ
【出生地】 イングランド サリー州ウォルトン・オン・テムズ
【職 業】 俳優、歌手、作家、演出家、ダンサー
デイム・ジュリーは、幼い頃に第二次世界大戦での慰問公演を行い、終戦後は舞台女優としてキャリアを重ねたミュージカル界のトップスターです。ブロードウェイ、ハリウッドを代表する女優としての地位確立や、社会貢献の活動をご紹介していきます。
生い立ちからキャリアについて

デイム・ジュリー・アンドリュースは、イギリスのサリー州で生まれました。彼女は幼い頃から歌の才能を発揮し、第二次世界大戦中には母親と一緒に慰問公演を行っていました。1948年にはウェスト・エンド・シアターで舞台デビューし、1954年にはブロードウェイで『ボーイ・フレンド』に出演して注目されました。
その後、彼女は『マイ・フェア・レディ』や『キャメロット』などのミュージカルで主演を務め、トニー賞にノミネートされるなど、舞台界のスターとなりました。1957年にはテレビで放送されたミュージカル『シンデレラ』に主演し、1億人以上の視聴者を魅了しました。
1964年にはディズニー映画『メリー・ポピンズ』で映画デビューし、アカデミー主演女優賞を受賞しました。この映画でアカデミー賞にノミネートされたのは、ディズニー映画では彼女だけです。翌年の1965年には『サウンド・オブ・ミュージック』に出演し、ゴールデングローブ賞を受賞しました。この映画は現在でも最高興行収入を獲得した映画の第3位です。
1960年代後半から1970年代にかけては、『卑怯者の勲章』や『引き裂かれたカーテン』などの映画に出演しましたが、興行的に成功しなかった作品も多くありました。しかし、1979年には『テン』でコメディタッチの役柄を演じて復活し、1982年には夫であるブレイク・エドワーズ監督の『ビクター/ビクトリア』で3度目のアカデミー賞ノミネートを果たしました。
1980年代後半から1990年代にかけては、映画での活躍は少なくなりましたが、児童文学の執筆や舞台演出などで活動しました。1997年には喉の手術を受けたことで声が変わってしまいましたが、その後も声優やナレーターとして仕事を続けました。
2000年代に入ると、映画界に再び復帰しました。『プリティ・プリンセス』シリーズや『シュレック』シリーズなどの人気作品に出演しました。また、2008年には自伝『Home: A Memoir of My Early Years』を出版しました。
デイム・ジュリーは、これまでにアカデミー賞や英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、グラミー賞、エミー賞などの数々の賞を受賞しています。また、ディズニー・レジェンドやケネディ・センター名誉賞などの栄誉も受けています。2000年にはエリザベス2世から大英帝国勲章を授与され、デイムの称号を得ました。
デイム・ジュリーは、ブロードウェイとハリウッドを代表するミュージカル女優として、世界中の人々に愛されています。彼女の美しい歌声と魅力的な演技は、今もなお多くの人々を感動させています。彼女は現在も活動を続けており、2020年にはNetflixで子供向け番組『Julie's Greenroom』に出演しました。
主な出演作品の評価
メリー・ポピンズ

デイム・ジュリーの映画デビュー作であり、彼女の代表作のひとつです。この映画で彼女は魔法のナニー、メリー・ポピンズを演じました。彼女の美しい歌声とチャーミングな演技が高く評価され、アカデミー主演女優賞を受賞しました。この映画はディズニー映画史上でも最も成功した作品のひとつであり、世界中で愛されています。
サウンド・オブ・ミュージック

デイム・ジュリーが修道女から家庭教師になり、7人の子どもたちと音楽を通じて絆を深めるマリアを演じました。この映画は世界的な大ヒットを記録し、アカデミー賞作品賞を含む5部門を受賞しました。彼女も2度目のアカデミー賞ノミネートを果たし、ゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞しました。
ビクター/ビクトリア

デイム・ジュリーが男装の女性歌手、ビクトリアを演じました。この映画はコメディタッチのミュージカルであり、ジェンダーやセクシュアリティの問題にも触れています。彼女は3度目のアカデミー賞ノミネートと4度目のゴールデングローブ賞主演女優賞を獲得しました。
以上が、デイム・ジュリーの主な出演作品の評価です。彼女はブロードウェイとハリウッドを代表するミュージカル女優として、多くの名作に出演しています。
【主な受賞歴】
アカデミー賞
1964年 主演女優賞『メリー・ポピンズ』
ヴェネツィア国際映画祭
2019年 栄誉金獅子賞
AFI賞
2020年 生涯功労賞
英国アカデミー賞
1965年 新人女優賞『メリー・ポピンズ』
エミー賞
1971年 バラエティ/ミュージカル番組部門『Julie and Carol at Lincoln Center』
1972年 バラエティ/ミュージカル番組部門『ジュリー・アンドリュース・アワー』
2003年 ノンフィクション・シリーズ部門『Broadway: The American Musical』
グラミー賞
1964年 子供のためのアルバム賞『メリー・ポピンズ(サウンドトラック)』
2010年 子供向けスポークン・ワード・アルバム賞
『Julie Andrews' Collection of Poems, Songs and Lullabies』
2010年 特別賞 特別功労賞生涯業績賞
ゴールデングローブ賞
1964年 女優賞(ミュージカル・コメディ部門)『メリー・ポピンズ』
1965年 女優賞(ミュージカル・コメディ部門)『サウンド・オブ・ミュージック』
1982年 女優賞(ミュージカル・コメディ部門)『ビクター/ビクトリア』
全米映画俳優組合賞
2006年 生涯功労賞(映画界、演劇界への長年に渡る貢献に対して)
〈その他の賞〉
ディズニー・レジェンド 1991年 映画出演
ハリウッド名声の歩道 映画 1979年 6901 Hollywood Blvd.
社会貢献について

デイム・ジュリーは、社会貢献にも積極的に取り組んでいます。彼女の活動を、以下のとおりご紹介します。
- 子どもたちの教育や芸術に関心が高く、自ら児童文学の執筆や朗読を行っています。また、2000年には、娘のエマ・ウォルトン・ハミルトンと共に、子どもたちの創造力や想像力を育むプロジェクト「The Julie Andrews Collection」を立ち上げました。
- 環境保護にも熱心で、自然や動物に関する本や映画に出演したり、環境団体に寄付したりしています。2004年には、国連の「国際山岳年」の親善大使に任命されました。
- 人権や平和にも貢献しており、2009年には、「国連メッセンジャー・オブ・ピース」に選ばれました。彼女は、特に女性や子どもの権利や健康に関する問題に取り組んでおり、国連児童基金(UNICEF)や国際連合人口基金(UNFPA)などの活動を支援しています。
以上が、デイム・ジュリーの社会貢献についての概要です。彼女は、芸術家としてだけでなく、人道主義者としても世界中から尊敬されています。
日本でのエピソード

デイム・ジュリーと日本とのエピソードについて、以下のようにいくつかご紹介します。
- 1965年に初めて日本を訪れました。彼女は『サウンド・オブ・ミュージック』のプロモーションのために来日し、東京や京都などを観光しました。彼女は日本の文化や風景に感動し、着物や扇子などのお土産を買いました。彼女は日本のファンにも温かく迎えられ、サインや写真に応じました。
- 1977年に再び日本を訪れました。『10』の撮影のために沖縄に滞在しました。沖縄の自然や食べ物を楽しみ、現地の人々とも交流しました。彼女は沖縄での撮影を「素晴らしい経験だった」と語っています。
- 1987年に3度目の来日をしました。『ビクター/ビクトリア』の舞台版で主演し、東京と大阪で公演しました。日本の観客から熱烈な歓迎を受け、スタンディング・オベーションを何度も受けました。舞台で日本語で「ありがとう」と言ったり、「さくらさくら」を歌ったりして、日本のファンを感動させました。
以上が、デイム・ジュリーと日本とのエピソードです。彼女は日本をとても好きで、何度も訪れています。
(Wikipedia参照、Microsoft Bing引用)
主な作品紹介
数ある作品の中から、私見で代表作を掲載します。デイム・ジュリーの作品をぜひ楽しんでください。
映画
メリー・ポピンズ
サウンド・オブ・ミュージック
ビクター/ビクトリア
〈プリティ・プリンセス シリーズ〉
プリティ・プリンセス
プリティ・プリンセス2/ロイヤル・ウェディング
怪盗グルーの月泥棒
怪盗グルーのミニオン危機一発
怪盗グルーのミニオン大脱走
ミニオンズ フィーバー
〈舞台〉
マイ・フェイバリット・ブロードウェイ