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【英雄!】ジェームズ・スチュアート

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英雄!ジェームズ・スチュアート/アメリカの良心!往年の銀幕スターをご紹介!

 90年代に購入していた映画雑誌でのスター人気投票を参考に、海外俳優たちを紹介していこうと思います。今回は、アメリカ映画史上最も愛されたスターの一人、ジェームズ・スチュアートです。

ジェームズ・スチュアート

(James Maitland Stewart)

1908年5月20日生まれ/1997年7月2日(89歳没)

【出生地】 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州インディアナ

【職 業】 俳優

 サー・ジェームズは、俳優を志し映画デビューします。第二次世界大戦中は、爆撃機パイロットとして活躍し大佐に昇進しました。戦後は、名作やヒット作に出演を続けキャリアを重ねました。アメリカ映画史上最も愛された俳優の一人としての地位確立や、社会貢献の活動をご紹介していきます。

生い立ちからキャリアについて 

(c) SNAP Photo Library

 ジェームズ・スチュアートは、アメリカ合衆国ペンシルベニア州インディアナで裕福な家庭に生まれました。プリンストン大学で建築学と都市工学を学び、卒業後は学生演劇集団に参加しました。俳優を志しましたが、世界恐慌の影響で仕事がなく、親友のヘンリー・フォンダに誘われてハリウッドへ行きました。メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)と契約し、1935年に映画デビューしました。

 サー・ジェームズは、フランク・キャプラ監督に見出されて『我が家の楽園』(1938年)や『スミス都へ行く』(1939年)などの大ヒット作に主演し、スターとなりました。1940年には『フィラデルフィア物語』でアカデミー主演男優賞を受賞しました。彼は191cmの長身で、その誠実な人柄と、日々の生活で困難に立ち向かう「平均的な中流階級のアメリカ人」の善良な役柄を多く演じたことから「アメリカの良心」と呼ばれました。

 第二次世界大戦中は率先して軍隊に志願し、陸軍航空軍の爆撃機パイロットとして活躍しました。出撃回数は20回、飛行時間は1800時間にも及び、1945年3月に大佐に昇進しました。戦後はハリウッドに英雄として凱旋し、『素晴らしき哉、人生!』(1946年)や『ハーヴェイ』(1950年)などのヒューマン・コメディや、『ウィンチェスター銃'73』(1950年)や『リバティ・バランスを射った男』(1962年)などの西部劇でも新境地を拓きました。また、アルフレッド・ヒッチコック監督の『ロープ』(1948年)、『裏窓』(1954年)、『めまい』(1958年)、『或る殺人』(1959年)などにも主演しました。

 ジェームズ・スチュアートは1984年に長年の映画界への功績を称えられてアカデミー賞名誉賞が授与されました。1997年7月2日に89歳で亡くなりました。彼はアメリカ映画史上最も愛された俳優の一人として記憶されています。

主な出演作品の評価

スミス都へ行く

© 1939, renewed 1967 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

 この作品は、フランク・キャプラ監督とサー・ジェームズの初コンビ作で、アメリカの政治と民主主義を題材にした社会派ドラマです。サー・ジェームズは、理想主義的な青年ジェファーソン・スミスを演じ、上院議員として腐敗した政治家たちに立ち向かいます。彼の演技は、純真さと熱情さを見事に表現し、観客の共感を呼びました。この作品で、ニューヨーク映画批評家協会賞の主演男優賞を受賞し、アカデミー賞にもノミネートされました。この作品は、アメリカ映画史上最も重要な作品の一つとして評価されています。

裏窓

『裏窓(1954)』© 1954 Patron, Inc. Renewed 1982 Samuel Taylor & Patricia Hitchcock O'Connell, as Co-Trustees. All Rights Reserved.

 この作品は、アルフレッド・ヒッチコック監督とサー・ジェームズの二度目のコンビ作で、独特のサスペンスと映像技術が魅力の傑作です。サー・ジェームズは、足を骨折して車椅子に縛られた写真家ジェフを演じ、窓から見える隣人たちの生活に興味を持ちます。やがて彼は、向かいの部屋で殺人事件が起きたと確信するようになります。彼の演技は、好奇心や不安、恐怖などの感情を微妙な表情や声で表現し、観客を引き込みました。この作品は、アカデミー賞に4部門でノミネートされました。この作品は、映画史上最も偉大なサスペンス映画の一つとして評価されています。

めまい

(C)1958 Alfred J. Hitchcock Productions, Inc & Paramount Pictures Corporation. All Rights Reserved.
Restored Version (C)1996 Leland H. Faust, Patricia Hitchcock O'Connell & Kathleen O'Connell Fiala, Trustees under the Alfred J. Hitchcock Trust. All Rights Reserved.

この作品は、アルフレッド・ヒッチコック監督とサー・ジェームズの三度目のコンビ作で、心理的な恐怖とロマンスが絡み合う不思議な魅力の作品です。スチュアートは、高所恐怖症で退職した刑事ジョンを演じ、友人から頼まれて妻マデリーンの尾行を始めます。やがて彼はマデリーンに恋心を抱くようになりますが、彼女は自殺してしまいます。その後、彼はマデリーンにそっくりな女性ジュディに出会いますが…。彼の演技は、愛と執着と苦悩という複雑な感情を深く掘り下げて表現しました。この作品は、当時はあまり評価されませんでしたが、後に再評価されて名作と認められました。

【主な受賞歴】

アカデミー賞

 1940年 主演男優賞『フィラデルフィア物語』

 1984年 名誉賞

ヴェネツィア国際映画祭

 1959年 男優賞『或る殺人』

ベルリン国際映画祭

 1962年 銀熊賞(男優賞)『H氏のバケーション』

 1982年 名誉金熊賞

AFI賞

 1980年 生涯功労賞

ゴールデングローブ賞

 1973年 主演男優賞 (ドラマシリーズ部門)『Hawkins』

 1964年 セシル・B・デミル賞

全米映画俳優組合賞

 1968年 生涯功労賞

社会貢献について

©2022 Legacy.com All rights reserved.

 サー・ジェームズの社会貢献について以下のとおりご紹介します。彼は俳優としてだけでなく、人道主義者や愛国者としても多くの功績を残しました。

 第二次世界大戦中には、自ら志願して陸軍航空軍に入隊し、爆撃機パイロットとして20回の出撃を果たしました。彼はその勇敢さと指導力で部下から慕われ、大佐に昇進しました。戦後も空軍予備役として活動し、最終的には少将にまでなりました。彼はアメリカの自由と民主主義を守るために自らの命を賭けた英雄として称えられました。

 戦後はハリウッドに復帰し、多くの名作映画に出演しましたが、その中でも特に『素晴らしき哉、人生!』(1946年)は彼の代表作となりました。この映画は、自分の人生に絶望する主人公が天使から自分の存在の意味を教えられるという感動的な物語です。この映画は、人々に希望と勇気を与える作品として高く評価されています。サー・ジェームズは、この映画でアカデミー賞にノミネートされました。

 サー・ジェームズは、映画界だけでなく社会活動にも積極的に参加しました。彼はボーイスカウトの活動家としても知られており、1935年から死去するまでボーイスカウトの会員でした。ボーイスカウトの理念や価値観を広めるために多くの演説や寄付を行いました。彼は、1970年にボーイスカウト連盟の功労賞であるシルバー・バッファロー章を受章しました。

サー・ジェームズは、政治的にも積極的な姿勢を示しました。彼は共和党を支持しており、ロナルド・レーガンやジョージ・H・W・ブッシュなどの大統領候補の選挙運動に協力しました。また、1983年にはレーガン大統領から大統領自由勲章を授与されました。彼はアメリカの伝統や価値観を尊重する保守派として知られていました。

日本でのエピソード

1955, renewed 1983 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

 サー・ジェームズの日本とのエピソードについて以下のとおりご紹介します。

  • サー・ジェームズは、1955年に日本を訪れたことがあります。彼は『ララミーから来た男』の宣伝のために来日しました。彼は東京や京都などを観光し、日本の風景や文化に感動したと言われています。彼は日本人の親切さや礼儀正しさにも感心したといいます。
  • サー・ジェームズは、日本映画にも関心を持っていました。彼は特に黒澤明監督の作品を高く評価していました。彼は『羅生門』や『七人の侍』などを見て感銘を受けたと言われています。彼は黒澤明監督とも面識があり、1962年にベルリン国際映画祭で審査員を務めた際には、黒澤明監督の『用心棒』に銀熊賞(男優賞)を贈ったといいます。
  • サー・ジェームズは、日本人俳優とも親交がありました。彼は三船敏郎さんや志村喬さんなどと共演したことがあります。三船敏郎さんとは『西部開拓史』(1962年)で共演し、志村喬さんとは『ハワイ』(1966年)で共演しました。三船敏郎さんについては、「世界で最も偉大な俳優の一人」と称賛し、志村喬さんについては、「素晴らしい演技力と人間性を持った俳優」と敬意を表したといいます。

(Wikipedia参照、Microsoft Bing引用)

主な作品紹介

 数ある作品の中から、私見で代表作を掲載します。サー・ジェームズの作品をぜひ楽しんでください。

スミス都へ行く


フィラデルフィア物語


素晴らしき哉、人生!


ハーヴェイ


裏窓


めまい


或る殺人


馬上の二人


リバティ・バランスを射った男


ネット配信

 サー・ジェームズの作品は、現在ネット配信されています。ぜひ!楽しんでご覧ください。

  • Hulu
  • Amazon プライムビデオ
  • Google Playムーヴィー&TV
  • Apple TV
  • U-NEXT

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はもんどれお

こんにちは。はもんどれおです。 これから、大好きな海外ドラマや洋画を紹介していこうと思います。 よろしくお願いします(^ ^) 私の初めての海外ドラマは、当時の教育テレビで放送されていた『大草原の小さな家』です。それから『フルハウス』や『サブリナ』など欠かさず見ていました。 私は、ドラマは吹替で映画は字幕で観る派です。機会があれば、オススメな懐かしい声優さんを紹介していけたらいいな〜と思っています。

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