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知的!モンゴメリー・クリフト/美しい魅力!今なお光り輝く大スターをご紹介!
90年代に購入していた映画雑誌でのスター人気投票を参考に、海外俳優たちを紹介していこうと思います。今回は、名作に出演し続けた印象深いスター、モンゴメリー・クリフトです。
モンゴメリー・クリフト
(Edward Montgomery Clift)
1920年10月17日生まれ/1966年7月23日(45歳没)
【出生地】 アメリカ合衆国 ネブラスカ州オマハ
【職 業】 俳優
モンゴメリー・クリフトは、10代で舞台出演を重ね、その後映画デビューします。名作に出演し続け、若くして名声を得ました。活躍が期待されていましたが、事故に遭い後遺症に悩みます。知的で繊細、美しく魅力あふれるハリウッド・スターをご紹介していきます。
生い立ちからキャリアについて

モンゴメリー・クリフトは、アメリカのネブラスカ州オマハで生まれました。父親は銀行家で、母親は社交界の名士でした。幼少期から音楽や演劇に興味を持ち、13歳でブロードウェイデビューしました。その後、10年間は舞台で活躍し、批評家や観客から高い評価を得ました。
1948年にジョン・ウェイン主演の西部劇『赤い河』で映画デビューし、若くして名声を得ました。同年に出演した戦争ドラマ『山河遥かなり』では、ナチスによって母親と離ればなれにされた少年を保護した米兵を演じ、アカデミー賞主演男優賞に初ノミネートされました。
1951年、テオドア・ドライザーの小説『アメリカの悲劇』を原作とした『陽のあたる場所』に出演し、エリザベス・テイラーと共演しました。この作品では、金持ちの娘と結婚するために愛人を殺そうとする青年を演じ、再びアカデミー賞主演男優賞にノミネートされました。この作品は、彼の代表作の一つとなりました。
1953年、ジェームズ・ジョーンズの小説『地上より永遠に』を原作とした同名映画に出演し、バート・ランカスターやフランク・シナトラと共演しました。この作品では、軍隊の中で孤立し、拳闘を強要される兵士を演じ、三度目のアカデミー賞主演男優賞にノミネートされました。
1956年、交通事故で顔面を負傷し、整形手術を受けました。この事故は彼の容姿や精神に大きな影響を与え、以後はアルコールやドラッグに依存するようになりました。
1959年、テネシー・ウィリアムズの戯曲『去年の夏 突然に』を原作とした同名映画に出演し、エリザベス・テイラーやキャサリン・ヘプバーンと共演しました。この作品では、精神病院に入院している青年医師を演じました。
1961年、マリリン・モンローやクラーク・ゲーブルと共演した西部劇『荒馬と女』や、ニュルンベルク裁判を題材とした歴史ドラマ『ニュールンベルグ裁判』に出演しました。後者では、精神障害を抱えた被告人を演じ、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされました。
1966年、心臓発作で死去しました。享年45歳でした。彼は、ジェームズ・ディーンやマーロン・ブランドと並んで、反逆者やローナーといったキャラクターを演じた俳優として知られています。彼の知的で繊細な美しさは、多くの人々を魅了しました。彼の出演作品は、今なお名作として観られています。
主な出演作品の評価
陽のあたる場所

ミスター・モンゴメリーは、金持ちの娘と結婚するために愛人を殺そうとする青年ジョージ・イーストマンを演じました。この作品は、テオドア・ドライザーの小説『アメリカの悲劇』を原作とした社会派映画で、エリザベス・テイラーと初共演しました。彼は、金持ちの娘と結婚するために愛人を殺そうとする青年ジョージ・イーストマンを演じ、野心と罪悪感に苦しむジョージの葛藤を見事に表現します。ミスター・モンゴメリーは、二度目のアカデミー賞主演男優賞にノミネートされました。また、この作品は、アメリカ社会の暗部を描いた社会派映画としても評価されています。
地上より永遠に

ミスター・モンゴメリーは、軍隊の中で孤立し、拳闘を強要される兵士ロバート・E・リー・プルーイットを演じました。この作品は、ジェームズ・ジョーンズの小説『地上より永遠に』を原作としています。第二次世界大戦中のハワイを舞台にした戦争映画で、バート・ランカスターやフランク・シナトラと共演しました。ミスター・モンゴメリーは、プルーイットの反抗心や友情や恋愛への渇望を力強く表現しています。また、この作品はミスター・モンゴメリーの主演男優賞ノミネートも含む、アカデミー賞で8部門にノミネートされ作品賞や監督賞など4部門を受賞しました。
ニュールンベルグ裁判

ミスター・モンゴメリーは、精神障害を抱えた被告人ルドルフ・ピーターセンを演じました。この作品は、ニュルンベルク裁判を題材とした歴史ドラマで、スペンサー・トレイシーやバート・ランカスターと共演しました。ミスター・モンゴメリーは、ピーターセンの証言シーンで、彼の恐怖や罪悪感を見事に表現しています。なお、この作品は、ミスター・モンゴメリーの最後のアカデミー賞ノミネート作品となりました。彼は、助演男優賞にノミネートされています。
【主な受賞歴】
アカデミー賞 ノミネート
1949年 主演男優賞『山河遥かなり』
1952年 主演男優賞『陽のあたる場所』
1954年 主演男優賞『地上より永遠に』
1962年 助演男優賞『ニュールンベルグ裁判』
ゴールデングローブ賞 ノミネート
1962年 助演男優賞『ニュールンベルグ裁判』
社会貢献について

ミスター・モンゴメリーの社会貢献について、以下のとおりご紹介します。
- ミスター・モンゴメリーは、俳優としてだけでなく、人道主義者としても活動しました。彼は、第二次世界大戦中に赤十字社のボランティアとして働き、負傷した兵士や難民を救援しました。彼はまた、人種差別や貧困に対しても声を上げ、黒人やユダヤ人の権利を擁護しました。彼は、1950年代のハリウッドで最初に黒人俳優と共演した白人俳優の一人であり、『荒れ狂う河』でジュヴェナイル・デルリンクエント役のジェームズ・エドワーズと友情を築きました。彼はまた、『ニュールンベルグ裁判』でナチス戦犯の弁護を担当した弁護士役を演じる際に、実際の裁判の記録や証言を研究し、戦争犯罪や人権侵害について深く考えるようになりました。
- ミスター・モンゴメリーは、自身の性的指向についても公に語ることはありませんでしたが、同性愛者であることを隠すこともありませんでした。彼は、当時のハリウッドではタブーとされていた同性愛者の役を演じることにも積極的でした。例えば、『地上より永遠に』では、軍隊内で同性愛者としていじめられる兵士を演じました。また、『去年の夏 突然に』では、同性愛者の従兄弟を殺害した容疑で精神病院に入院している青年医師を演じました。彼はこれらの作品で、同性愛者の苦悩や孤独を感動的に表現しました。
以上、ミスター・モンゴメリーの社会貢献についてご紹介しました。彼は、俳優としてだけでなく、人間としても尊敬されるべき人物だと思います。
日本でのエピソード

ミスター・モンゴメリーの日本でのエピソードについて、以下のとおりのご紹介します。
- ミスター・モンゴメリーは、1953年に『地上より永遠に』のプロモーションで初来日しました。このとき、彼は東京や京都を観光し、日本の文化や風景に感動したと言われています。彼はまた、日本の映画にも興味を持ち、『羅生門』や『雨月物語』などの作品を鑑賞しました。彼は特に『雨月物語』の監督である溝口健二に感銘を受け、彼と会うために東宝撮影所を訪れました。溝口はミスター・モンゴメリーのファンであり、彼と親交を深めました。
- ミスター・モンゴメリーは、1959年に『去年の夏 突然に』の撮影で再来日しました。このとき、彼は共演者のエリザベス・テイラーやキャサリン・ヘプバーンとともに日本各地を旅行しました。彼らは京都や奈良、広島などの名所を訪れ、日本人と交流しました。彼らはまた、東京で開催された映画祭に参加し、日本の映画人やファンと対面しました。
彼は日本を何度も訪れており、日本の映画や文化に関心を持っていたことがわかります。彼の出演作品は今でも多くの日本人ファンに愛されています。
(Wikipedia参照、Microsoft Bing引用)
主な作品紹介
数ある作品の中から、私見で代表作を掲載します。ミスター・モンゴメリーの作品をぜひ楽しんでください。
山河遥かなり
赤い河
陽のあたる場所
終着駅
地上より永遠に
荒馬と女
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ニュールンベルグ裁判