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ゲイリー・クーパーの再来!ケビン・コスナー/苦労と挫折を乗り越え、自分の夢を追い続けた大スターをご紹介!
90年代に購入していた映画雑誌でのスター人気投票を参考に、海外俳優たちを紹介していこうと思います。今回は、自分の夢をひたすらに追い続けたスター、ケビン・コスナーです。
ケビン・コスナー
(Kevin Michael Costner)1955年1月18日生まれ
【出生地】 アメリカ合衆国 カリフォルニア州リンウッド
【職 業】 俳優、映画監督、映画プロデューサー
ケビン・コスナーは、俳優に憧れ多くのヒット作に出演してきました。彼は苦労と挫折を乗り越えて、自分の夢を追い続けた大スターです。ハリウッド・スターとしての地位確立や、社会貢献の活動をご紹介していきます。
生い立ちからキャリアについて

生い立ち
ケビン・コスナーは、カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のリンウッドで生まれました。彼はチェロキー族インディアン、ドイツ人、アイルランド人の血を引いています。彼は少年時代から野球やアメリカンフットボールに熱中し、高校時代には全米選抜に選ばれるほどの実力を持っていました。彼はカリフォルニア州立大学フラトン校で経営学を学びましたが、大学時代から俳優に憧れていました。ある日、偶然同じ飛行機に乗り合わせた名優リチャード・バートンに助言をもらい、俳優の道に進むことを決心しました。
下積み時代
サー・ケビンは卒業前にサウス・アクターズ・コーポに参加し、1982年に『女優フランシス』で本格デビューしましたが、出演シーンは決定版でカットされました。翌年の『再会の時』でも同じ目に遭いましたが、この作品でローレンス・カスダン監督と親しくなり、1985年に『シルバラード』で共演しました。同年には『ファンダンゴ』で主役を演じ、ケビン・レイノルズ監督と以後も組むことになりました。
スターダムへ
サー・ケビンは1987年にブライアン・デ・パルマ監督の『アンタッチャブル』で主演に抜擢されました。この作品ではショーン・コネリーやロバート・デ・ニーロと共演し、正義感溢れる主人公エリオット・ネスを演じて絶賛されました。「ゲイリー・クーパーの再来」と評価され、遅咲きながらハリウッドのトップスターの仲間入りをしました。その後も『フィールド・オブ・ドリームス』(1989年)や『ロビン・フッド』(1991年)、『ボディガード』(1992年)などで善き父親やヒーローを演じました。一方で『JFK』(1991年)や『パーフェクト・ワールド』(1993年)などではシリアスな役柄にも挑戦しました。
監督業へ
サー・ケビンは俳優だけでなく、監督業やプロデューサー業にも進出しました。彼は1990年に自ら監督・製作・主演を務めた西部劇『ダンス・ウィズ・ウルブズ』でアカデミー賞の最優秀作品賞と最優秀監督賞を受賞しました。この作品は南北戦争時代の開拓期を舞台にした壮大な物語で、インディアンとの交流を描いています。彼はこの作品でクリント・イーストウッドと共に、オスカー監督兼俳優としての地位を得ました。その後も『ウォーターワールド』(1995年)や『ポストマン』(1997年)などで監督・製作・主演を務めましたが、これらの作品は期待されたほどの成績を収められませんでした。また、『ロビン・フッド』と『ワイアット・アープ』(1994年)ではゴールデンラズベリー賞最低主演男優賞、『ポストマン』では最低監督賞および最低主演男優賞を受賞しました。
近年の活躍
サー・ケビンは2000年代以降も俳優として活躍しています。彼は2012年に放送されたミニシリーズ『宿敵 因縁のハットフィールド&マッコイ』でエミー賞とゴールデングローブ賞の主演男優賞を獲得しました。また、2013年にはセザール賞の名誉賞を受けました。映画では『カンパニー・メン』(2010年)や『マン・オブ・スティール』(2013年)、『エージェント:ライアン』(2014年)や『ラストミッション』(2014年)、『ドリーム』(2016年)や『モリーズ・ゲーム』(2017年)などに出演しました。現在はテレビドラマ『イエローストーン』(2018年~)に主演しており、2022年にはゴールデングローブ賞の主演男優賞(ドラマシリーズ部門)を受賞しました。また、2024年には自ら監督・主演する2部構成の西部劇映画『Horizon: An American Saga(原題)』が公開される予定です。
主な出演作品の評価
ダンス・ウィズ・ウルブズ

この作品は、南北戦争時代のアメリカ西部を舞台に、インディアンと交流を深める白人兵士の物語です。ケビン・コスナーは監督・製作・主演を務めました。この作品は、アカデミー賞で最優秀作品賞と最優秀監督賞を受賞するなど、高い評価を得ました。インディアンの文化や生活に寄り添った描写や、壮大な自然の美しさが魅力的です。ケビン・コスナーの演技も繊細で感動的です。
ボディガード

この作品は、歌手レイチェル・マロン(ホイットニー・ヒューストン)のボディガードとなった元シークレットサービスのフランク・ファーマー(ケビン・コスナー)との恋愛を描いた映画です。この作品は、世界中で大ヒットしました。主題歌の『I Will Always Love You』も有名です。ケビン・コスナーはクールでプロフェッショナルなボディガード役を見事に演じました。ホイットニー・ヒューストンとの甘く切ない恋も印象的です。
ドリーム

この作品は、1960年代のNASAで働く黒人女性数学者たちの実話を基にした映画です。ケビン・コスナーは白人男性の上司役で出演しました。この作品は、人種差別やジェンダー差別に立ち向かう女性たちの姿や、宇宙開発の歴史に感動します。ケビン・コスナーは厳しくも優しいリーダーシップを見せる役柄でした。
【主な受賞歴】
アカデミー賞
1990年 作品賞・監督賞『ダンス・ウィズ・ウルブズ』
ベルリン国際映画祭
1991年 銀熊賞(特別個人貢献賞)『ダンス・ウィズ・ウルブズ』
放送映画批評家協会賞
2015年 生涯功労賞(長年の映画界への貢献に対して)
エミー賞
2012年 男優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)『宿敵 因縁のハットフィールド&マッコイ』
ゴールデングローブ賞
1990年 監督賞『ダンス・ウィズ・ウルブズ』
2012年 男優賞(テレビ映画・ミニシリーズ部門)『宿敵 因縁のハットフィールド&マッコイ』
2022年 主演男優賞(ドラマシリーズ部門)『イエローストーン』
セザール賞
2013年 名誉賞
全米映画俳優組合賞
2016年 キャスト賞『ドリーム』
2012年 男優賞(テレビ映画・ミニシリーズ)『宿敵 因縁のハットフィールド&マッコイ』
日本アカデミー賞
1991年 最優秀外国語作品賞『ダンス・ウィズ・ウルブズ』
〈その他の賞〉
全米監督協会賞
1990年 長編映画監督賞『ダンス・ウィズ・ウルブズ』
ハリウッド名声の歩道 2003年
社会貢献について

サー・ケビンは、俳優や監督としてだけでなく、社会貢献にも積極的に取り組んでいます。彼は環境保護活動や教育支援活動などに関わっており、その一部をご紹介します。
環境保護活動
1989年のエクソンバルディーズ号原油流出事故をきっかけに、水と油を分離させる遠心分離機の開発に私財を投じました。2010年のメキシコ湾原油流出事故では、彼が開発した装置がBPによって購入され、被害の軽減に貢献しました。
教育支援活動
彼自身がチェロキー族インディアンの血を引いていることから、先住民の教育や文化の保存に力を入れています。彼は2003年にアメリカインディアン大学基金の名誉理事に就任し、奨学金や教育プログラムの提供などを行っています。また、彼は自らが監督・製作・主演した『ダンス・ウィズ・ウルブズ』で使用したラコタ語の教科書やビデオを寄贈し、言語の復興に努めています。
その他の活動
2010年にハイチ地震の被災者支援のために10万ドルを寄付しました。また、2016年にアメリカ大統領選挙でバーニー・サンダース候補を支持し、その政策やビジョンに賛同していました。
以上がサー・ケビンの社会貢献についての一部です。彼は自分の影響力や資産を使って、世界の問題に取り組んでいる素晴らしい人物です。
日本でのエピソード

SCREE ONLINE 2021-08-06 スクリーン編集部 掲載
サー・ケビンは日本との関係も深い俳優です。彼は何度も日本を訪れており、日本の文化や人々に対して敬意や好感を表明しています。以下に彼の日本とのエピソードをいくつか紹介します。
- 1989年に『フィールド・オブ・ドリームス』の宣伝で初来日した際、東京ドームで行われた巨人対阪神戦の始球式を務めました。彼は野球が大好きで、高校時代には全米選抜に選ばれたほどの実力者です。始球式では、ユニフォーム姿でマウンドに立ち、ストライクを投げました。
- 1991年に『ダンス・ウィズ・ウルブズ』の宣伝で再来日した際、東京国立博物館で開催された「アメリカインディアン展」の開会式に出席しました。彼はこの作品でインディアンの文化や歴史に寄り添った描写を心がけたと語りました。また、この作品で使用したラコタ語の教科書やビデオを寄贈しました。
- 1993年に『ボディガード』の宣伝で再来日した際、東京都内で行われた記者会見で、日本の女性ファンから贈られた着物を着て登場しました。彼は着物姿が似合っていると評判になりました。また、この作品で共演したホイットニー・ヒューストンとの関係についても語りました。
- 2003年に『オープン・レンジ』の宣伝で再来日した際、東京都内で行われた記者会見で、日本の映画監督である黒澤明や北野武について賞賛しました。彼は黒澤明の『七人の侍』や『用心棒』などの西部劇作品に影響を受けたと語りました。また、北野武とは親交があり、彼から『キッズ・リターン』や『HANA-BI』などのビデオを送られたことがあると明かしました。
以上がケビン・コスナーの日本とのエピソードです。彼は日本の映画や文化に興味を持っており、日本人とも親しく交流していますね。
サー・ケビンは、アメリカの俳優、映画監督、映画プロデューサーとして活躍しています。彼は、1990年に監督・製作・主演を務めた西部劇『ダンス・ウィズ・ウルブズ』でアカデミー賞の最優秀作品賞と最優秀監督賞を受賞したほか、多くのヒット作に出演してきました。彼は苦労と挫折を乗り越えて、自分の夢を追い続けた人物です。
(Wikipedia参照、Microsoft Bing引用)
主な作品紹介
数ある作品の中から、私見で代表作を掲載します。サー・ケビンの作品をぜひ楽しんでください。
ファンダンゴ
シルバラード
アンタッチャブル
さよならゲーム
フィールド・オブ・ドリームス
ダンス・ウィズ・ウルブズ
ロビン・フッド
JFK
パーフェクト・ワールド
ワイアット・アープ
ウォーターワールド
ティン・カップ
ラブ・オブ・ザ・ゲーム
守護神
マン・オブ・スティール
エージェント:ライアン
ラストミッション
ドリーム