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初代007!サー・ショーン・コネリー/約半世紀にわたって映画界に多大な影響を与えた名優をご紹介!
90年代に購入していた映画雑誌でのスター人気投票を参考に、海外俳優たちを紹介していこうと思います。今回は、初代ジェームズ・ボンド!サー・ショーン・コネリーです。
サー・ショーン・コネリー
(Sir Thomas Sean Connery)
1930年8月25日生まれ/2020年10月31日(90歳没)
【出生地】 スコットランド ロージアン州エディンバラ
【職 業】 俳優、プロデューサー
サー・ショーンは、海軍を除隊後、ミュージカルのオーディションに合格して、俳優としてのキャリアがスタートします。初代ジェームズ・ボンド役で一躍有名になり、その後、約半世紀にわたって映画界に多大な影響を与えました。世界中の映画ファンを魅了した彼のキャリアや、社会貢献の活動をご紹介していきます。
生い立ちからキャリアについて

サー・ショーン・コネリーは、スコットランドのエディンバラでアイルランド系の労働者階級の家庭に生まれました。16歳でイギリス海軍に入りましたが、3年後に十二指腸潰瘍で除隊しました。その後、様々な職を経験しながらボディビルやサッカーにも打ち込みました。1953年にミスター・ユニバース・コンテストに出場した際、演技の道を勧められてミュージカル『南太平洋』のオーディションに合格しました。これが彼の俳優としてのキャリアの始まりでした。
1954年からはテレビや映画にも出演するようになりましたが、一躍有名になったのは1962年に公開された初代ジェームズ・ボンド役を演じた『007 ドクター・ノオ』でした。その後も『007 ロシアより愛をこめて』『007 ゴールドフィンガー』など5作品に出演し、世界的な人気を博しました。しかし、ボンド役からの脱却を望んだコネリーは1971年の『007 ダイヤモンドは永遠に』で一度引退を表明しました。その後、1983年に自主製作した『ネバーセイ・ネバーアゲイン』で再びボンド役を務めました。これが007シリーズの最後の出演となりました。
『007』以外にもコネリーは多彩なジャンルの映画に出演し、その演技力と存在感で観客を魅了しました。代表作としては、アルフレッド・ヒッチコック監督の『マーニー』(1964年)、オードリー・ヘップバーンと共演した『ロビンとマリアン』(1976年)、シドニー・ルメット監督の『怒りの刑事』(1972年)や『ショーン・コネリー/盗聴作戦』(1971年)、ジョン・ブアマン監督のSF映画『未来惑星ザルドス』(1974年)などが挙げられます。
1987年にはブライアン・デ・パルマ監督の『アンタッチャブル』で主人公を助ける警官ジム・マローン役を演じ、アカデミー助演男優賞やゴールデングローブ賞助演男優賞を受賞しました。この作品では、独特のスコットランド訛りで台詞を話すことが話題となりました。その他にも『薔薇の名前』(1986年)、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年)、『レッド・オクトーバーを追え!』(1990年)、『ザ・ロック』(1996年)などのヒット作に出演し、高い評価を得ました。
サー・ショーンはスコットランド出身であることを誇りにしており、2000年には英王室よりナイト(サー)に叙任されました。2006年にはアメリカ映画協会から生涯功労賞を授与されました。同年、俳優業からの引退を発表しましたが、その後も声優やナレーターとして活動しました。2020年10月31日、バハマの自宅で90歳で亡くなりました。
サー・ショーンは、約半世紀にわたって映画界に多大な影響を与えた名優です。彼の演じたジェームズ・ボンドは、多くの人々にとって不朽の名作として記憶されています。彼の出演した映画は、今でも観ることができますので、ぜひチェックしてみてください。
主な出演作品の評価
007 ロシアより愛をこめて

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FROM RUSSIA WITH LOVE (C) 1963 DANJAQ, LLC AND METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.
この作品は、1963年に公開された007シリーズの第2作目です。サー・ショーンは、ソ連の暗号機を手に入れるために美女スパイと接触するジェームズ・ボンドを演じました。この作品は、批評家やファンから高い評価を受けています。スパイ映画の見本となるクオリティの高さや、ボンドガールの美しさ、タイトルのカッコよさなどが評価されています。
インディ・ジョーンズ/最後の聖戦

この作品は、1989年に公開されたアドベンチャー映画です。サー・ショーンは、インディアナ・ジョーンズの父親である考古学者ヘンリー・ジョーンズを演じました。この作品は、シリーズの中でも最も人気が高く、サー・ショーンの存在感や演技力、父子の掛け合いや冒険感が楽しいと評価されています。
アンタッチャブル

この作品は、1987年に公開された犯罪映画です。サー・ショーンは、禁酒法時代のシカゴでマフィアと戦う警官ジミー・マローンを演じました。彼にとって初めてのアカデミー賞受賞作となりました。気骨ある演技や名言が印象的であると評価されています。
以上、サー・ショーンの主な出演作品の評価についてご紹介しました。いずれも名作ですので、ぜひ、ご覧ください!
【主な受賞歴】
アカデミー賞
1987年 助演男優賞『アンタッチャブル』
ヨーロッパ映画賞
2005年 生涯貢献賞
AFI賞
2006年 生涯功労賞
英国アカデミー賞
1987年 主演男優賞『薔薇の名前』
1997年 フェローシップ賞
ゴールデングローブ賞
1987年 助演男優賞『アンタッチャブル』
1995年 セシル・B・デミル賞
トニー賞
1998年 演劇作品賞『'Art'』
〈その他の賞〉
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
1987年 助演男優賞『アンタッチャブル』
1993年 生涯功労賞
社会貢献について

サー・ショーンは俳優としてだけでなく、慈善活動や政治活動にも積極的に関わっていました。以下のとおり、ご紹介します。
- 彼は自身の出演料の一部を慈善事業に寄付していました。例えば、1971年の『007 ダイヤモンドは永遠に』で150万ドルという破格のギャラを得た際には、その全額をスコットランドの教育や文化の振興に寄付しました。
- 彼はスコットランド出身であることを誇りにしており、スコットランド独立運動を支持していました。彼はスコットランド国民党(SNP)のメンバーであり、1999年にはスコットランド議会が開設された際には現地に赴きました。また、2014年の住民投票では独立賛成派のキャンペーンにも参加しました。
- 彼は国連教育科学文化機関(UNESCO)の親善大使としても活動していました。特に、アフリカやカリブ海地域の教育や文化の発展に貢献しました。2005年には、バハマで開催された国連教育科学文化機関(UNESCO)の会議で基調講演を行いました。
以上が、サー・ショーンの社会貢献についてのご紹介です。彼は映画界だけでなく、世界中の人々に影響を与えた偉大な人物でした。
日本でのエピソード

サー・ショーン1966年に『007は二度死ぬ』の撮影のために初めて日本を訪れました。日本の文化や風景に興味を示し、その後、何度も訪れました。以下のとおり紹介します。
- サー・ショーンは来日前に日本語を習得するために努力しましたが、なかなかうまく話せなかったそうです。しかし、撮影現場では日本人スタッフや共演者とコミュニケーションを取ろうとしていました。特に、彼が演じたジェームズ・ボンドの相棒である日本人スパイ・タイガー・田中を演じた丹波哲郎さんとは仲が良く、一緒に食事や飲みに行ったり、ゴルフをしたりしていました。
- サー・ショーンは日本の伝統的な建築や庭園に感動しました。撮影で訪れた京都では、金閣寺や清水寺などの名所を見学しました。また、東京では赤坂日枝神社で参拝したり、浅草寺でおみくじを引いたりしました。彼は神社や寺院の雰囲気や美しさに魅了されていたようです。
- サー・ショーンは日本の食事も楽しみました。撮影中は主に和食を食べていましたが、特に刺身やすき焼きが好きだったそうです。また、彼は日本酒も気に入っていて、丹波さんと一緒に飲んだこともありました。彼は日本酒の味や香りを称賛していました。
- 1989年には、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦 』のプロモーションで再び来日しました。来日中には、東京タワーや浅草寺などの観光スポットを訪れたり、日本のファッションや食事を楽しんだりしました。
- 1993年には、『ライジング・サン 』のプロモーションで3度目の来日を果たしました。この作品では日本企業とアメリカ警察との対立を描いており、サー・ショーンは日本通の元刑事ジョン・コナーを演じています。来日中の東京国際映画祭では、特別功労賞を受賞しました。
以上が、サー・ショーンの日本とのエピソードのご紹介です。彼は日本での滞在を楽しみました。後年、『007は二度死ぬ』が自分の出演した007シリーズの中で一番好きな作品だと語っているそうです。それは、日本での経験が彼にとって特別だったからかもしれません。
日本語吹替について
映画館での上映を楽しむこともありましたが、大半はテレビの洋画劇場で作品を観ていました。番組最後の『声の出演』をチェックするのを欠かさなかった自分としては、サー・ショーンの出演時にはこの方の名前を確認するのが常でした。そのほか、担当された方もいたようです。以下、ご紹介します。
若山弦蔵さん

『マーニー』で初めて担当し、『007 ロシアより愛をこめて』の再放送から専任(フィックス)で担当し、“ショーン・コネリーの吹き替え=若山弦蔵”とのイメージが定着しました。TV放送時も大半は務めています。また、サー・ショーン出演の『REGNO』タイヤのCMでも吹替を担当していました。一時期はサー・ショーンを担当する機会が減りつつありましたが、1990年代以降は担当する機会が増えました。媒体は違えどサー・ショーン出演作品はほぼ全て担当し、遺作となった『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』も担当しました。彼が亡くなった際には「今まで吹き替えを担当した俳優たちの訃報を耳にしてきたが、彼の訃報のショックは全く別のものだった、心に穴が開いたような感じがした」と語り、「功成り名を遂げたすごい人。007の役にとどまらず、汚れ役をやったり自分でプロデュースをしたり、やりたいものをやり遂げたと思う。過去に1度バハマでお会いできるかもしれないチャンスがあったけれど、結局行くことができず残念でした。作品を通して幅広い役を見せてもらい、自分もそうありたいと感じる存在でした。」とコメントを残しています。
そのほか、名だたる方々がサー・ショーンの吹替を担当されています。
日高晤郎さん、瑳川哲朗さん、近藤洋介さん、坂口芳貞さん、有川博さん、石田太郎さん、内海賢二さん、大塚明夫さん、小林修さん、小林清志さん、宮川洋一さん、麦人さん、森川公也さん
以上、ご紹介でした。素晴らしい方々ですが、やはり、やはり、若山さんがイチバンです!
偉大なスターの訃報は、いつも寂しく喪失感であふれますが、サー・ショーンは少し違いました。「スパイ作品を定着させたあの『ジェームズ・ボンド』の喪失だ」と虚しく思ったと同時に、「永遠に心に生き続けてくれる」と思いました。著名な方々の追悼メッセージが世界を駆け巡り、サー・ショーンが世界に与えた影響力のすごさを感じました。改めて、彼の長年のキャリアを讃えたいです。そして、数々の作品を楽しんでいただけたら幸いです。
(Wikipedia参照、Microsoft Bing引用)
主な作品紹介
数ある作品の中から、私見で代表作を掲載します。サー・ショーンの作品をぜひ楽しんでください。
007 シリーズ
007 ドクター・ノオ
007 ロシアより愛をこめて
007 ゴールドフィンガー
007 サンダーボール作戦
007は二度死ぬ
007 ダイヤモンドは永遠に
007 ネバーセイ・ネバーアゲイン
王になろうとした男
薔薇の名前
アンタッチャブル
インディ・ジョーンズ/最後の聖戦
レッド・オクトーバーを追え!
ザ・ロック