PR
デューク!ジョン・ウェイン/ミスター・アメリカ!今なお光り輝く偉大なスターをご紹介!
90年代に購入していた映画雑誌でのスター人気投票を参考に、海外俳優たちを紹介していこうと思います。今回は、アメリカ映画史における最も偉大なスターの一人、ジョン・ウェインです。
ジョン・ウェイン
(Marion Robert Morrison)
1907年5月26日生まれ/1979年6月11日(72歳没)
【出生地】 アメリカ合衆国 アイオワ州ウィンターセット
【職 業】 俳優、映画監督
『駅馬車』の大ヒットでスターの座を確立させ、幅広いジャンルの作品に出演し、キャリアを重ね続けました。サー・ジョンのアメリカ映画史に残る大スターとしての地位確立や、社会貢献などの活動をご紹介していきます。
生い立ちからキャリアについて

ジョン・ウェインは、アメリカのアイオワ州で生まれました。本名はマリオン・ロバート・モリソンでしたが、幼い頃から愛犬の『リトル・デューク』と一緒にいることが多かったため、『ビッグ・デューク』という愛称で呼ばれるようになりました。1911年に一家はカリフォルニア州に移り住み、ウェインは南カリフォルニア大学でフットボールに打ち込みましたが、水泳中に負った怪我が原因で競技生命を絶たれました。
大学在学中に映画スタジオで働き始めたウェインは、1930年にラオール・ウォルシュ監督の超大作『ビッグ・トレイル』で主役に抜擢され、ジョン・ウェインという芸名を与えられました。しかし、この映画は商業的に失敗し、ウェインはB級西部劇の俳優として不遇の時代を過ごしました。その間に、射撃、乗馬、格闘技などの技術を身につけました。
1939年にジョン・フォード監督の『駅馬車』で主演し、大ヒットを記録しました。この作品でウェインはハリウッドのスターとしての地位を確立し、以後、フォード監督の多くの作品に出演しました。その中には『静かなる男』『捜索者』『リバティ・バランスを射った男』などの名作があります。
1948年にはハワード・ホークス監督の『赤い河』で主演し、西部劇の名優としての評価を高めました。その後もホークス監督とは『リオ・ブラボー』『エル・ドラド』などの作品でコンビを組みました。ウェインは西部劇だけでなく、戦争映画やコメディ映画にも出演し、幅広い演技力を見せました。
サー・ジョンは自ら映画製作にも関わり、1952年には自ら監督を務めた『アラモ』でアカデミー賞最優秀作品賞にノミネートされました。1969年には『勇気ある追跡』でアカデミー賞主演男優賞を受賞しました。この作品はウェインの代表作の一つとして知られています。また、彼は愛国主義者としても知られており、ベトナム戦争を支持する立場から『グリーン・ベレー』を製作・監督・主演しました。この作品は反戦運動の高まりの中で物議を醸しましたが、ウェインは自らの信念を貫きました。
サー・ジョンは1979年6月に肺がんのために亡くなりました。彼は生涯で154本の映画に出演し、アメリカ映画史における最も偉大なスターの一人として認められています。彼の遺した映画は今でも多くの人々に観られており、彼の魅力は色あせることがありません。
主な出演作品の評価
駅馬車

この映画は、西部劇の傑作として名高いジョン・フォード監督の代表作の一つです。サー・ジョンは、逃亡中の無法者リンゴ・キッドを演じ、強く逞しいヒーロー像を確立しました。彼はこの役でハリウッドのスターの地位を獲得し、以後、フォード監督の多くの作品に出演しました。この映画は、彼の出世作と言えます。
赤い河

この映画は、ハワード・ホークス監督の西部劇の名作です。サー・ジョンは、牛の大移動を率いるがんこな牧場主トム・ダンソンを演じ、彼の養子マット(モンゴメリー・クリフト)との対立と和解を描きました。彼はこの役で西部劇の名優としての評価を高めました。この映画は、彼の演技力と魅力を充分に発揮した作品と言えます。
勇気ある追跡

この映画は、サー・ジョンがアカデミー主演男優賞を受賞した作品です。彼は、片目の老保安官ロースター・コグバーンを演じ、殺された父親の仇を討つために彼に同行する少女マティ(キム・ダービー)との冒険を描きました。彼はこの役でユーモアと温かさを見せ、自身の代表作の一つとしました。この映画は、サー・ジョンの魅力が詰まった作品と言えます。
以上がサー・ジョンの主な出演作品の評価の一部です。彼の出演作品は他にもたくさんありますので、ぜひご覧になってください。彼はアメリカ映画史における最も偉大なスターの一人です。
【主な受賞歴】
アカデミー賞
1969年 主演男優賞『勇気ある追跡』
AFI賞
映画スターベスト100 1999年 男優部門第13位
アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100(ヒーロー部門第36位)
2003年『勇気ある追跡』
ゴールデングローブ賞
1969年 主演男優賞(ドラマ部門)『勇気ある追跡』
1966年 セシル・B・デミル賞 生涯功労賞
その他の賞
1960年 ハリウッド名声の歩道
(映画産業への貢献、映画・演劇業界への業績に対して)
社会貢献について
サー・ジョンは、社会貢献にも積極的に関わっていました。彼は、癌との闘病中に、癌の予防と治療のための基金を設立し、多くの人々に勇気と希望を与えました。『ジョン・ウェイン癌基金』は、今でも癌の研究や教育に貢献しています。
日本でのエピソード

サー・ジョンは、日本とも深い関係がありました。彼は、1956年に日本で撮影された映画『黒船』に出演し、初の日本総領事として通辞のヒュースケンとともに下田に着いたタウンゼンド・ハリスを演じました。この映画は、日米修好通商条約の締結に至る歴史的な出来事を描いたもので、日本とアメリカの友好関係を象徴する作品となりました。彼は、日本の文化や風景に感動し、日本人の温かさや礼儀正しさにも触れたと言われています。彼は、日本のファンにも愛され、日本の西部劇映画の先駆者としても尊敬されていました。
(Wikipedia参照、Microsoft Bing引用)
主な作品紹介
数ある作品の中から、私見で代表作を掲載します。サー・ジョンの作品をぜひ楽しんでください。
駅馬車
赤い河
静かなる男
ホンドー
ホンドー [ ジョン・ウェイン ]捜索者
リオ・ブラボー
リバティ・バランスを射った男
史上最大の作戦
勇気ある追跡