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ハリウッド伝説!ナタリー・ウッド/子役出身の大女優!今なお愛され続ける大スターをご紹介!
90年代に購入していた映画雑誌でのスター人気投票を参考に、海外俳優たちを紹介していこうと思います。今回は、伝説となったハリウッド・スター、ナタリー・ウッドです。
ナタリー・ウッド
(Natalia Nikolaevna Zakharrenko)
1938年7月20日生まれ/1981年11月29日(43歳没)
【出生地】 アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンフランシスコ
【職 業】 俳優
子役からキャリアをスタートさせ、名作に出演し人気を博しました。今なお愛され続けるハリウッドスター、ミズ・ナタリーをご紹介していきます。
生い立ちからキャリアについて

ナタリー・ウッドは、ロシアからの移民の両親のもとにカリフォルニア州サンフランシスコで生まれました。彼女は4歳で子役として映画デビューし、1947年に『三十四丁目の奇蹟』で人気を博しました。その後、1955年に『理由なき反抗』でジェームズ・ディーンの恋人役を演じてアカデミー助演女優賞にノミネートされました。彼女はその他にも、『捜索者』、『ウエスト・サイド物語』、『草原の輝き』などの名作に出演し、ハリウッドのスターとして活躍しました。
ミズ・ナタリーは、私生活でも話題になりました。彼女は1957年に俳優のロバート・ワグナーと結婚しましたが、1962年に離婚しました。その後、プロデューサーのリチャード・グレグソンと再婚し、娘ナターシャをもうけましたが、1971年に離婚しました。そして、1972年にワグナーと再婚し、娘コートニーをもうけました。
残念ながら彼女は、1981年に43歳で謎の死を遂げました。彼女はワグナーとウォーケンとともにヨットでロサンゼルス沖にいたところ、行方不明になり、翌日にサンタカタリナ島の入り江で水死体となって発見されました。当初は事故死とされましたが、後に死因が「溺れたこと、および他の不明確な要因」に変更されました。彼女の死にはワグナーが関与しているという疑惑もあり、警察は再捜査を行っていますが、真相は未だに明らかになっていません。
主な出演作品の評価
理由なき反抗

この映画は、1950年代のアメリカの若者の反抗心や孤独感を描いた青春映画の傑作です。ミズ・ナタリーは、ジェームズ・ディーンの恋人ジュディを演じ、彼女の複雑な心理や感情を見事に表現しました。彼女はこの役でアカデミー助演女優賞にノミネートされました。この映画は、彼女の子役から大人の女優への転換期を象徴する作品と言えます。
ウエスト・サイド物語

この映画は、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』をモチーフにしたミュージカル映画です。ミズ・ナタリーは、ポーランド系のトニーと恋に落ちるプエルトリコ系のマリアを演じました。彼女は歌唱シーンでは吹き替えを使いましたが、ダンスシーンでは自分で踊りました。彼女はこの役でゴールデングローブ賞主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞しました。この映画は、ミズ・ナタリーの美しさと才能を最大限に引き出した作品と言えます。
草原の輝き

この映画は、1930年代のアメリカの農村で起きた恋愛と悲劇を描いたドラマ映画です。ミズ・ナタリーは、ウォーレン・ベイティの恋人ディーンを演じました。彼女はこの役でアカデミー主演女優賞にノミネートされました。この映画は、彼女の演技力と魅力を充分に発揮した作品といえます。
社会貢献について
ミズ・ナタリーは、女優としてだけでなく、人道主義者としても活動していました。以下のとおり、ご紹介します。
- 1961年、彼女は国連児童基金(ユニセフ)の親善大使に任命されました。彼女は、アフリカやアジアの貧困や飢餓に苦しむ子どもたちのために、募金や啓発活動を行いました。
- 1966年、彼女はベトナム戦争に反対する平和運動に参加しました。彼女は、ワシントンD.C.で行われた反戦デモに夫のロバート・ワグナーとともに参加し、ベトナムからの撤退を求めるスピーチを行いました。
- 1979年、彼女は国際難民年に合わせて、難民の救済活動に協力しました。彼女は、カンボジアやタイの難民キャンプを訪問し、難民たちの苦しみや希望を世界に伝えるために、ドキュメンタリー映画『The Memory of a Child』を製作しました。
以上がミズ・ナタリーの社会貢献の一部です。彼女は、自分の名声や財産を使って、世界の平和や人権、子どもの福祉に貢献しようと努めていました。彼女は、自分の信念に基づいて行動する勇気と優しさを持った女優でした。
日本でのエピソード

ミズ・ナタリーは、日本の映画や文化に興味を持っていました。以下のとおりご紹介します。
- 1956年、彼女は『捜索者』のプロモーションで初めて日本を訪れました。彼女は、東京や京都などの都市を観光し、日本の風俗や芸能に触れました。彼女は、日本の着物や扇子、人形などの土産を買って帰りました。
- 1960年、彼女は『ウエスト・サイド物語』のプロモーションで再び日本を訪れました。彼女は、日本のファンとの交流を楽しみました。彼女は、日本のファンから贈られた花束や手紙に感動し、涙を流しました。
- 1964年、彼女は『サンセット物語』のプロモーションで3度目の日本訪問をしました。
以上、ミズ・ナタリー・ウッドのご紹介でした。彼女は子役から大女優になったハリウッドの伝説です。ミズ・ナタリーの美しさと才能は、今もなお多くの人々に愛されています。
(Wikipedia参照、Microsoft Bing引用)
主な作品紹介
数ある作品の中から、私見で代表作を掲載します。ミズ・ナタリーの作品をぜひ楽しんでください。
幽霊と未亡人
理由なき反抗
捜索者
草原の輝き
ウエスト・サイド物語