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演技派!ジェニファー・コネリー/挑戦し続ける素晴らしいスターをご紹介!
90年代に購入していた映画雑誌でのスター人気投票を参考に、海外俳優たちを紹介していこうと思います。今回は、様々なジャンルや役柄に挑戦している素晴らしいスター、ジェニファー・コネリーです。
ジェニファー・コネリー
(Jennifer Lynn Connelly)1970年12月12日生まれ
【出生地】 アメリカ合衆国 ニューヨーク州
【職 業】 俳優
ミズ・ジェニファーは、子役からキャリアを重ねた演技派女優です。ハリウッド・スターとしての地位確立や、社会貢献の活動をご紹介していきます。
生い立ちからキャリアについて

ジェニファー・コネリーは、ニューヨーク州カイロで生まれました。父親は子供服のデザイナー、母親はアンティーク品のディーラーでした。母方の祖父母はロシア人、ユダヤ人、ポーランド人の血を引き、父方の祖父母はアイルランド人とノルウェー人の血を引いています。英語のほかにフランス語とイタリア語も話せます。
ミズ・ジェニファーは、両親の友人の勧めで10歳のときにモデルになりました。コマーシャルや雑誌の仕事を経て、1982年にテレビドラマ『Tales of the Unexpected』で女優デビューしました。そして1984年には、セルジオ・レオーネ監督の大作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』でヒロインの子供時代役を演じて映画デビューしました。
1985年、ダリオ・アルジェント監督のホラー映画『フェノミナ』で主演し、日本ではポストブルック・シールズとして注目されました。その後はやや低迷期に入りましたが、1990年にはドン・ジョンソンと共演したエロティックスリラー『ホット・スポット』で初めてヌードシーンに挑戦しました。
2000年、ダレン・アロノフスキー監督の衝撃作『レクイエム・フォー・ドリーム』で麻薬中毒の女性を演じて高い評価を得ました。インディペンデント・スピリット賞 助演女優賞にノミネートされました。
2001年、ロン・ハワード監督の『ビューティフル・マインド』で天才数学者ジョン・ナッシュの妻を演じて大ブレイクしました。この作品でアカデミー助演女優賞、ゴールデングローブ賞 助演女優賞、英国アカデミー賞 助演女優賞などを受賞しました。
その後も『ダーク・ウォーター』『ブラッド・ダイヤモンド』『NOAH/ノア 約束の舟』などの話題作に出演しました。2019年には、ジェームズ・キャメロン製作のSF大作『アリータ: バトル・エンジェル』で悪役を演じて注目されました。
主な出演作品の評価
ビューティフル・マインド

この作品は、天才数学者ジョン・ナッシュの実話を基にした感動のドラマです。ミズ・ジェニファーは、ナッシュの妻アリシア・ナッシュを演じています。彼女は、夫の精神病と闘う姿を繊細に表現し、観客の共感を呼びました。この作品で、彼女はアカデミー助演女優賞など多くの賞を受賞しました。この映画は、日本では2002年に公開され、興行収入は約15億円でした。映画批評家や観客からも高い評価を得ています。
ブラッド・ダイヤモンド

この作品は、アフリカ・シエラレオネの内戦とダイヤモンドの密売を描いたサスペンス映画です。ミズ・ジェニファーは、アメリカ人ジャーナリストのマディ・ボウエンを演じています。彼女は、ダイヤモンドの真実を暴こうとする姿勢や、内戦に巻き込まれた人々への思いやりを見せています。この映画は、日本では2007年に公開され、興行収入は約10億円でした。映画批評家や観客からも好意的な評価を得ています。
アリータ: バトル・エンジェル

この作品は、日本の漫画『銃夢』を原作としたSFアクション映画です。ミズ・ジェニファーは、悪役のチレン博士を演じています。彼女は、冷酷で野心的なキャラクターを見事に演じています。この映画は、日本では2019年に公開され、興行収入は約20億円でした。映画批評家や観客からも概ね好評でした。
以上が、ミズ・ジェニファーの主な出演作品の評価についてのご紹介です。彼女は、様々なジャンルや役柄に挑戦している素晴らしい女優だと思います。
【主な受賞歴】
アカデミー賞
2001年 助演女優賞『ビューティフル・マインド』
放送映画批評家協会賞
2001年 助演女優賞『ビューティフル・マインド』
AFI賞
2001年 助演女優賞『ビューティフル・マインド』
英国アカデミー賞
2001年 助演女優賞『ビューティフル・マインド』
ゴールデングローブ賞
2001年 助演女優賞『ビューティフル・マインド』
〈その他の賞〉
ハリウッド映画賞
2007年 助演女優賞『帰らない日々』
社会貢献について

ミズ・ジェニファーは、女優としてだけでなく、人権活動家としても知られています。彼女は、2005年にアムネスティ・インターナショナルUSAの人権教育大使に任命されました。彼女は、世界中の人権侵害や紛争に関する問題について啓発や支援を行っています。以下のとおり、彼女の活動をご紹介します。
- 2005年には、ダルフール危機に対する国際社会の関与を促すために、アムネスティ・インターナショナルと共に国連本部で記者会見を行いました。
- 2006年には、アフリカのシエラレオネで内戦が終結した後の復興支援や子ども兵の救済を目的としたチャリティーイベント「Live 8」に参加しました。
- 2007年には、アフリカのウガンダで起きたジョセフ・コニ率いる反政府組織‘神の抵抗軍’による人権侵害や子ども兵の問題について取材し、ドキュメンタリー映画『SAND AND SORROW』に出演しました。
- 2008年には、世界保健機関(WHO)と共同で水質改善プロジェクト‘Drops of Life’を立ち上げ、途上国の清潔な水へのアクセスを支援しました。
- 2010年には、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使に就任しました。彼女は、難民や国内避難民の状況やニーズについて世界中に訴えかけています。以下のとおり、いくつかご紹介します。
- 2010年には、ハイチ地震後の被災者や難民を訪問しました。
- 2011年には、ケニアのダダーブ難民キャンプでソマリアから逃れてきた難民たちと交流しました。
- 2012年には、コンゴ民主共和国で性的暴力や紛争の被害者となった女性や子どもたちを支援するプロジェクトを視察しました。
- 2013年には、メキシコで中米から米国へ移動する移民や難民の人権状況を調査しました。
- 2014年には、レバノンでシリア内戦から逃れてきた難民たちと対話しました。
以上が、ミズ・ジェニファーの社会貢献についてのご紹介です。彼女は、自分の影響力や知名度を使って、世界中の人々の苦しみや不正義に声を上げています。彼女の活動は多くの人々に感動や希望を与えています。
日本でのエピソード

ミズ・ジェニファーと日本とのエピソードについて、以下のとおりご紹介します。
- 1985年にダリオ・アルジェント監督のホラー映画『フェノミナ』で主演し、日本ではポストブルック・シールズとして注目されました。彼女は、日本のコマーシャルや雑誌にも多数出演し、日本語で歌ったレコード『モノクローム・ラバー』を発売しました。彼女は、日本のファンに感謝の気持ちを表すために、自ら日本語で書いた手紙を映画雑誌『スクリーン』に掲載しました。
- 1986年にジム・ヘンソン監督のファンタジー映画『ラビリンス/魔王の迷宮』で主演し、デヴィッド・ボウイと共演しました。この映画は、日本では1987年に公開され、興行収入は約3億円でした。この映画は、宮崎駿監督にも影響を与えたと言われています。宮崎駿監督は、この映画を観た後に自身の作品『天空の城ラピュタ』のラストシーンを変更したと語っています。
- 2001年にロン・ハワード監督の『ビューティフル・マインド』でアカデミー助演女優賞などを受賞しました。この映画は、日本では2002年に公開され、興行収入は約15億円でした。この映画で共演したポール・ベタニーと恋に落ちたジェニファーは、2003年にスコットランドで結婚式を挙げました。その際に、彼女は日本から取り寄せた白い花束を手にしていました。彼女は、日本の花言葉や文化に興味があると言われています。
以上が、ミズ・ジェニファーと日本とのエピソードについてのご紹介でした。彼女は、日本と深い縁がある女優だといえると思います。
(Wikipedia参照、Microsoft Bing引用)
主な作品紹介
数ある作品の中から、私見で代表作を掲載します。ミズ・ジェニファーの作品をぜひ楽しんでください。
映画
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ
フェノミナ
ラビリンス/魔王の迷宮
ロケッティア
ダークシティ
レクイエム・フォー・ドリーム
ビューティフル・マインド
ハルク
砂と霧の家
リトル・チルドレン
ブラッド・ダイヤモンド
そんな彼なら捨てちゃえば?
ハッピーエンドが書けるまで
ノア 約束の舟
スパイダーマン: ホームカミング
オンリー・ザ・ブレイブ
アリータ:バトル・エンジェル
トップガン マーヴェリック
テレビドラマ
スノーピアサー