海外俳優

【他に類を見ない女優!】イングリッド・バーグマン

Bettmann Archive / Getty Images

PR

他に類を見ない女優!イングリッド・バーグマン/ヨーロッパとアメリカで活躍した名女優をご紹介!

 90年代に購入していた映画雑誌でのスター人気投票を参考に、海外俳優たちを紹介していこうと思います。今回は、ヨーロッパとアメリカで活躍した伝説的スター、イングリッド・バーグマンです。

イングリッド・バーグマン

(Ingrid Bergman)

1915年8月29日生まれ/1982年8月29日(67歳没)

【出生地】 スウェーデン ストックホルム

【職 業】 俳優

 マダム・イングリッドは、ヨーロッパとアメリカで活躍したスウェーデン出身の女優で、アカデミー賞を3回、エミー賞を2回、トニー賞を1回受賞した伝説的なスターです。彼女のキャリアや、社会貢献の活動をご紹介していきます。

生い立ちからキャリアについて 

Getty Images

 

生い立ち(1915年 - 1938年)

 マダム・イングリッドは、スウェーデンのストックホルムで生まれました。父親はスウェーデン人で、母親はドイツ人でした。彼女はスウェーデン王女のイングリッド・アヴ・スヴェーリエにちなんでイングリッドと名付けられました。

 彼女は幼い頃から芸術に興味を持ち、父親の写真スタジオで一人芝居をしたり、声楽を学んだりしていました。しかし、彼女は3歳のときに母親を、13歳のときに父親を失いました。その後、叔母や叔父の家に身を寄せた彼女は、女優になることを夢見続けました。

 17歳のときに、ストックホルムの王立ドラマ劇場のオーディションに合格し、女優としての第一歩を踏み出しました。彼女は1932年にスウェーデン映画のエキストラとしてデビューし、1935年には『ムンクブローの伯爵』で初主演を果たしました。その後もスウェーデン映画に出演し、人気と実力を兼ね備えた女優として注目されるようになりました。

ハリウッド進出(1939年 - 1949年)

 マダム・イングリッドは、1936年に出演したスウェーデン映画『間奏曲』が、ハリウッドのプロデューサーの目に留まりました。彼女に7年間の出演契約を提示し、同作のハリウッドリメイク版『別離』にも主演させました。これが彼女のアメリカ映画デビュー作となりました。

 その際立った美貌と知性でアメリカ映画に“北欧からの瑞々しい息吹”を吹き込み、すぐさま“アメリカ人女性の理想”となりました。その他、出演した映画には『カサブランカ』(1942年)、『誰が為に鐘は鳴る』(1943年)、『ガス燈』(1944年)、『聖メリーの鐘』(1945年)、『汚名』(1946年)、『山羊座のもとに』(1949年)などがありました。これらの作品で、アカデミー賞に4回ノミネートされ、うち2回受賞しました。また、ゴールデングローブ賞にも3回ノミネートされ、2回受賞しました。

 彼女はハリウッドを代表する女優の一人となり、多くの名監督や名俳優と共演しました。特に、アルフレッド・ヒッチコック監督とは『白い恐怖』(1945年)、『汚名』(1946年)、『見知らぬ乗客』(1951年)の3本の映画でタッグを組み、サスペンス映画の名作を生み出しました。

イタリア時代(1950年 - 1955年)

 マダム・イングリッドは、1949年にイタリアの名匠ロベルト・ロッセリーニ監督の映画『ローマ市街地戦』を観て感銘を受け、自分の才能を彼の映画に使ってほしいと申し出ました。監督は彼女の申し出を受け入れ、彼女に『ストロンボリ』(1950年)の主演を依頼しました。

 彼女はイタリアに渡り、『ストロンボリ』の撮影中に、ロッセリーニ監督と恋に落ちました。このとき、彼女は既にスウェーデン人の医師と結婚しており、娘のピアもいました。監督も既婚者でした。彼らの不倫関係は大きなスキャンダルとなり、彼女はアメリカから非難の声を浴び、アメリカに戻ることができなくなります。その後、ロッセリーニ監督との間に3人の子供をもうけました。そのうちの一人が、後に女優となるイザベラ・ロッセリーニです。

 彼女はロッセリーニ監督との間に6本の映画を作りましたが、いずれも商業的には失敗しました。当時の観客の好みには合わなかったですが、後に批評家や映画人から再評価されることになります。ただ当時は、彼らの恋愛関係の方が注目されました。

ハリウッド復帰後(1956年 - 1982年)

 ロッセリーニ監督との不倫スキャンダルが発覚して以降、マダム・イングリットがハリウッドで大衆の前に初めて姿を見せたのは、1958年度のアカデミー賞授賞式です。旧友ケーリー・グラントからの紹介を受けて、作品賞のプレゼンターとしてステージにあがった彼女は、観客からのスタンディング・オヴェーションで迎えられました。

 1957年にロッセリーニ監督と離婚後、1958年に演劇プロデューサーと結婚しましたが、1975年に離婚しています。映画出演の本数は減少していましたが、1964年の『黄色いロールスロイス』以来5年ぶりになる映画『サボテンの花』で、ウォルター・マッソー、ゴールディ・ホーンと共演しています。

 マダム・イングリットは、1974年に出演した『オリエント急行殺人事件』でアカデミー助演女優賞を受賞しました。合計3つのアカデミー賞を手にした彼女は名実共に最高の女優のひとりとなりました。『オリエント急行殺人事件』のシドニー・ルメット監督は、当初、マダム・イングリットに重要な役である“ドラゴミロフ公爵夫人”を打診していました。しかしながらマダム・イングリットは、さほど重要ではない“スウェーデン人宣教師グレタ・オルソン役”に興味を示しました。監督は彼女が演じた役について、次のように語っています。

 「彼女(マダム・イングリット)は端役を選び、私にはその決心を変えることはできませんでした。彼女は愛らしくも頑固な女性だったといえるでしょう。とはいえ、あまりに“グレタ・オルソン”が小さな役だったために、私はひとつの決断をしました。彼女一人をスクリーンに写して、ひとつのテイクで5分間にわたって喋らせ続けたのです。ほとんどの女優はこのような演出を嫌がります。でも彼女はこのアイデアを気に入って、やりとげてくれました。彼女はあらゆる感情をこのシーンで表現しつくしました。このような経験は私にとっても初めてことだったのです。」

 1978年にマダム・イングリットは、イングマール・ベルイマン監督のスウェーデン映画『秋のソナタ』に出演しました。最後の映画出演となったこの作品で、彼女はリヴ・ウルマン演じる過去に見捨てた娘を訪ねるために、ノルウェーへと旅する裕福なピアニストを演じました。ノルウェーで撮影されたこの『秋のソナタ』で、マダム・イングリットはアカデミー賞に通算7回目のノミネートを受けました。

 1982年にマダム・イングリットは、イスラエルの女性首相ゴルダ・メイアを主人公としたテレビドラマシリーズ『ゴルダと呼ばれた女』の主役のオファーを受けました。この『ゴルダと呼ばれた女』は彼女の最後の出演作であり、二度目のエミー賞主演女優賞を受ける作品となりました。オファーがあった当初は、世界的な著名人を演じることが想像もつかず、身長などの容姿があまりに違いすぎるとして出演に難色を示していたそうです。

 この撮影中にもマダム・イングリットの病状は悪化していきましたが、彼女は弱音を吐くことも態度に出すこともほとんどありませんでした。そして完成してから4カ月後にこの世を去りました。『ゴルダと呼ばれた女』で受賞したエミー賞を、バーグマンの代わりに受け取ったのは娘のピアでした。

出版物について

 マダム・イングリットの伝記作家ドナルド・スポートは、彼女のことを「エンターテインメント史上、もっとも国際的なスターであることは間違いない」としています。5カ国語をあやつって舞台、映画、テレビで活躍し、3つのアカデミー賞など数多くの賞に輝いた名女優でした。レスリー・ハワードと共演した1939年のアメリカでのデビュー作『別離』の公開以来、ハリウッドはマダム・イングリットのことを、“メイクアップを必要としない完全に自然体の他に類を見ない女優である”と評価してきました。映画評論家ジェームズ・エイジーはマダム・イングリットが「およそ人が想像しえる理想的な女性というだけでなく、彼女は演技というものを根本から理解していた。詩的な優雅さと徹底的な現実主義とを両立させた女優である」と語っています。

 1980年にマダム・イングリットは自叙伝『マイ・ストーリー』を出版しました。アラン・バージェスの協力で書き下ろされたこの自叙伝には、子供時代、女優としてのキャリア初期、ハリウッド時代、そしてロッセリーニ監督とのスキャンダルとそれにまつわる出来事が綴られています。マダム・イングリットがこの自叙伝を書くきっかけとなったのは、子供たちの勧めによるものでした。もし彼女が、このまま自身のことを何も語らないままであれば、噂やインタビューを通じてしか彼女のことが知られなくなることを危惧したことがきっかけでした。

主な出演作品の評価

カサブランカ

『カサブランカ』TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.

 第16回アカデミー賞で作品賞を受賞した名作で、マダム・イングリットはヒロインのイルザ・ラスロを演じました。この映画は、第二次世界大戦下のモロッコのカフェを舞台に、かつての恋人と再会した女性と、彼女の夫との間で揺れる男性の姿を描きます。マダム・イングリットは、美しくも悲しげな表情で、愛と義務の間で苦悩するイルザの心情を見事に表現しました。この映画は、AFIが選ぶ『映画史上最高の名作ベスト100』で第3位にランクインしました。

ガス燈

(c)Photofest/Getty Images

 第17回アカデミー賞で主演女優賞を受賞した作品で、マダム・イングリットは夫に精神的に虐待される妻のポーラを演じました。この映画は、夫が妻を狂わせようとする恐ろしい計画を暴くサスペンスドラマです。彼女は、夫の嘘や罠によって徐々に自信を失い、錯乱していくポーラの演技で、観客の同情と感動を呼びました。この映画は、ゴールデングローブ賞やニューヨーク映画批評家協会賞でも主演女優賞を受賞しました。

秋のソナタ

『秋のソナタ[HDデジタルリマスター版]』©1978 AB Svensk Filmindustr

 第51回アカデミー賞で主演女優賞にノミネートされた作品で、マダム・イングリットは有名なピアニストであるシャルロッテを演じました。この映画は、イングマール・ベルイマン監督の代表作で、シャルロッテと彼女の娘エヴァとの複雑な親子関係を描きます。マダム・イングリットは、自分の音楽に情熱を注ぎながらも、娘に対して冷淡で自己中心的なシャルロッテの人間性を見事に表現しました。この映画は、全米映画批評家協会賞やニューヨーク映画批評家協会賞でも主演女優賞を受賞しました。

【主な受賞歴】

アカデミー賞

 1944年 主演女優賞『ガス燈』

 1956年 主演女優賞『追想』

 1974年 助演女優賞『オリエント急行殺人事件』

ヴェネツィア国際映画祭

 1952年 女優賞『ヨーロッパ一九五一年』

全米映画批評家協会賞

 1978年 主演女優賞『秋のソナタ』

AFI賞

 1999年 映画スターベスト100 女優部門第4位

英国アカデミー賞

 1974年 助演女優賞『オリエント急行殺人事件』

エミー賞

 1960年 女優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)『ねじの回転』

 1982年 女優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)『ゴルダと呼ばれた女』

ゴールデングローブ賞

 1944年 主演女優賞(ドラマ部門)『ガス燈』

 1945年 主演女優賞(ドラマ部門)『聖メリーの鐘』

 1956年 主演女優賞(ドラマ部門)『追想』

 1982年 女優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)『ゴルダと呼ばれた女』

セザール賞

 1976年 名誉賞

トニー賞

 1947年 演劇主演女優賞『ロレーヌのジャンヌ』

社会貢献について

Bettmann//Getty Images

 マダム・イングリッドは、女優としてだけでなく、社会貢献にも積極的に取り組んでいました。以下のとおり、ご紹介します。

  • 第二次世界大戦中、彼女はアメリカ赤十字社の一員として、ヨーロッパや北アフリカの戦地を訪れ、負傷した兵士たちに慰問や慰労を行いました。また、戦争債券の販売や、戦争難民の救済にも協力しました。
  • 1950年代、彼女はロベルト・ロッセリーニ監督と結婚し、イタリアに移住しましたが、その際に彼女はスウェーデン国籍を放棄し、イタリア国籍を取得しました。彼女はイタリアの文化や言語に親しんで、イタリア映画界にも貢献しました。
  • 1960年代、彼女は国連児童基金(ユニセフ)の親善大使として、アジアやアフリカの発展途上国を訪問し、子供たちの教育や健康に関する問題に取り組みました。彼女はまた、自身が乳がんを患ったことを公表し、乳がんの早期発見や治療の重要性を訴えました。
  • 1970年代、彼女はイスラエルの初代首相であるゴルダ・メイアの伝記映画に出演しました。彼女はゴルダの人生や業績に深く感銘を受け、彼女の役を演じることに情熱を注ぎました。彼女はまた、イスラエルとパレスチナの和平にも関心を持ち、両者の対話を促しました。

 以上のように、マダム・イングリッドは、女優としてのキャリアだけでなく、人道的な活動や平和的なメッセージにも力を注いでいました。彼女は、世界中の人々に影響を与えた、素晴らしい女性でした。

日本でのエピソード

(C)Mantaray Film AB. All rights reserved. Photo: Wesleyan Cinema Archives(C)Mantaray Film AB. All rights reserved.(C)Mantaray Film AB. All rights reserved. Photo: The Harry Ransom Center, Austin

 マダム・イングリッドの日本とのエピソードについて、以下のとおりご紹介します。

  • 1952年に、彼女はロベルト・ロッセリーニ監督とともに日本を訪れました。東京や京都などを観光し、日本の文化や風景に感動しました。また、黒澤明監督の映画『羅生門』を観て、その映像美や演技に感嘆しました。
  • 1953年に、彼女はロッセリーニ監督の映画『ヨーロッパ一九五一年』で第5回カンヌ国際映画祭の女優賞を受賞しましたが、授賞式には出席できませんでした。その代わりに、彼女は日本の映画監督である小津安二郎に代理として賞を受け取ってもらいました。小津監督は、彼女からの手紙を読み上げ、彼女の感謝の気持ちを伝えました。
  • 1972年に、彼女は再び日本を訪れました。彼女は東京で開催された『イングリッド・バーグマン映画祭』に出席し、自身の出演作品の上映やトークショーに参加しました。彼女はまた、日本の映画監督である成瀬巳喜男氏や山本薩夫氏と親交を深めました。彼女は日本の映画や俳優に対して高い評価を持っており、特に三船敏郎さんや高峰秀子さんのファンだったと言われています。

(Wikipedia参照、Microsoft Bing引用)

主な作品紹介

 数ある作品の中から、私見で代表作を掲載します。マダム・イングリッドの作品を、ぜひ楽しんでください。

カサブランカ


誰が為に鐘は鳴る


ガス燈


汚名


追想


オリエント急行殺人事件


秋のソナタ


ネット配信

 マダム・イングリットの作品は、現在ネット配信されています。ぜひ!楽しんでご覧ください。

  • Amazon プライムビデオ
  • Google Playムーヴィー&TV
  • Apple TV
  • U-NEXT
  • TELASA

  • この記事を書いた人

はもんどれお

こんにちは。はもんどれおです。 これから、大好きな海外ドラマや洋画を紹介していこうと思います。 よろしくお願いします(^ ^) 私の初めての海外ドラマは、当時の教育テレビで放送されていた『大草原の小さな家』です。それから『フルハウス』や『サブリナ』など欠かさず見ていました。 私は、ドラマは吹替で映画は字幕で観る派です。機会があれば、オススメな懐かしい声優さんを紹介していけたらいいな〜と思っています。

-海外俳優